総合・テーマ史
【問】次の文章を読み、文中の空欄( A )~( J )に最も適切な語句あるいは数字を記入しなさい。
イスラエル人は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の基礎となった聖書を生み出し、その後の世界の思想、文化、社会制度に大きな影響を与えた民族として知られている。この民族の起源はいまだに議論の対象となっているが、聖書によるとメソポタミア地方からパレスチナに移り住んできた遊牧民の族長アブラハムが父祖だとされている。時代的には、一般に紀元前2000年期の前半と考えられている。当時北メソポタミアでは( A )人の活動が活発であり、ハンムラビ法典で有名なバビロン第一王朝も彼らが建てた。アブラハムの移住もこの民族の活動の一環と考えられることが多い。
アブラハムの孫ヤコブは別名をイスラエルと言い、その12人の息子たちがイスラエル12部族の先祖となった。彼らは飢鍾を避けエジプトに下るが、聖書はそこで下から2番目の息子ヨセフが宰相に上りつめたと語っている。この時代はエジプトの第二中間期にあたり、ヤコブと同じセム系の人々(ヒクソス)の支配下にあったので、ヨセフの出世もこれと関係していたと思われる。その後エジプトの状況が変わり、イスラエル人が奴隷におとしめられると、彼らはモーセに率いられてエジプトを脱出し、途上で十戒を受け取り、ヤハウェ信仰を中心とする民族へと発展した。
パレスチナに戻ってきたイスラエル人たちは、しばらく地元のカナン人やちょうど同じ頃地中海世界から移住してきた「 ( B )」の一つぺリシテ人などと抗争を続け、不安定な時期を経験した。しかし、前1000年頃、ベツレへム出身の戦士ダヴィデがペリシテ人に決定的な勝利を収め、イスラエル12部族を統ーした王国を確立する。ダヴィデはイェルサレムを攻め取り、この国の首都とした。ダヴィデの息子ソロモンは、ソロモンの栄華jと呼ばれるようにその富と知恵によって知られ、イェルサレムに神殿を建てた。ソロモンはシドンを中心とする( C )人と協力して紅海などで海洋貿易を行い、国は経済的に繁栄した。シバの女王の訪問もこれと関係していると思われる。また、( C )人は、イェルサレム神殿の工芸技術者としても活躍した。
2人の偉大な王の下で絶頂期を誇ったイスラエル王国も、ソロモンが死ぬと内乱が起こり、南北に分裂した。北王国イスラエルには10の部族がつき、面積も大きく、港や耕地にも恵まれていたが、近隣のアラム人やメソポタミアで再び力をつけつつあったアツシリア帝国からの圧力に疲弊し、結局前722年にアッシリアによって滅ぼされることとなった。一方、地理的、経済的条件に恵まれていなかった南王国ユダには、ダヴィデ王朝が継続し、イェルサレム神殿が残ったので政治的に安定した。しかし、これらも前586年新バビロニアの王( D )によって滅ぼされ、人々は連れ去られて捕囚の身とされた。
この時期メソポタミアでは巨大国家が次々と交代し、アッシリア、新バビロニアについてアケメネス朝ペルシアが覇権を握った。前( E )年には、ペルシアの王キュロスが勅令を出し、帝国内の捕囚民たちに母国に帰る道を開いた。イスラエlレ人の中には自分たちが国を失ったのは、ヤハウエ信仰に忠実でなかったからだと反省する動きがあり、特に信仰的な人々が帰還をし、イエルサレム神殿を再建することをめざした。また、エズラ、ネへミヤといった指導者によって聖書を軸とした信仰共同体が形成された。この帰還民の中心はユダ族だったので、彼らは後にユダヤ人と呼ばれるようになった。
しかし、この帰還の共同体もほどなくペルシア帝国を滅ぽしたアレクサンドロスの東征の影響を受けるようになり、ヘレニズム思想が導入された。特に( F )朝時代には多神教が強要され、ユダヤ人の伝統的習慣の多くが禁止されるようになった。ユダヤ人は自分たちの信仰を守るためにマカベヤ家を中心に独立戦争を行い、一時成功するが、これもすぐ利権で腐敗してしまう。理想と現実の狭間でユダヤ人たちはさまざまなグループに分かれた。現実追認型の祭司たちは( G )派、聖書の律法に厳格な一般市民はパリサイ派、さらに自分たちの清さを求めて死海のほとりに隠遁し死海文書を残した人々はエツセネ派として知られている。
マカベヤ家によるユダヤ人の独立も長くは続かず、前63年には将軍( H )によってパレスチナはローマの支配下に入ることとなった。この頃ローマは共和制から帝政への移行期であり、カエサルが暗殺された後、オクタヴィアヌスとアントニウスが指導権を争うこととなった。パレスチナでは、はじめはアントニウスに、ついでオクタヴィアヌスに取り入ったへロデが王となり、抗しがたい異教徒の支配の下で人々の間には失望感が満ち、メシア(救世主)待望の機運がふくらんできた。
この頃ナザレのイエスが現れ、「( I )」の福音を説くようになった。イエスはユダヤ人の独善的な選民意識や形式化していた律法主義を批判し、「( I )」は暴力や政治的革命によって得られるものでなく、人間の弱さを超えて働く神の愛によって実現されることを教えた。そして、自ら十字架による罪の赦しと復活による新しい命を約束し、十字架についた。弟子たちはこのイエスこそメシアであると信じ、福音をユダヤはもちろんローマ帝国の各地で語るようになった。その中心は、十二弟子のー人であったペテロとパリサイ派から後に回心した( J )である。
ローマ帝国は、多神教的価値観と皇帝崇拝を受け入れないキリスト教徒を激しく迫害したが、キリスト教は「殉教者の血は教会の種」と言われるほどの勢いで帝国中に広まった。ついに紀元313年コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認し、392年テオドシウス帝が国教化するに至ってキリスト教は政治的にも大きな影響力を持つようになった。しかしこのことはイエスの語った「( I )」の福音との整合性において新しい課題を抱える結果ともなった。一方、イエスをメシアと信じなかったユダヤ人たちは、旧約聖書のメシア預言を別の形で理解する必要が生じた。また、イェルサレム神殿が破壊され、離散の民となるとともに、新しいユダヤ教を形成する必要が生まれ、ラビのユダヤ教が成立した。彼らもまた独自の文化を生み出し、後の社会に影響力を持ち続けた。
解 答 解答欄ごとにクリック。全解答を表示するには右上の「全解答表示」をクリック。クリアは左上のメニューで選択。
A | B | C | D | E |
アムル | 海の民 | フェニキア | ネブカドネザル | 538 |
F | G | H | I | J |
セレウコス | サドカイ | ポンペイウス | 神の国 | パウロ |
※別解:(1):アモリ