大西洋とアメリカ大陸
【問】次の文章を読み、問いに答えなさい。
大西洋を舞台にしたヒト・モノ・カネ・情報の往来は,近現代史を強く規定してきた。インドヘの近道を探し,大西洋を西に向けて船団を率いた(1)コロンブスが1492年にサンサルバドル島に到着して以降,ヨーロッパ諸国は富と機会を求めて南北アメリカの奥深くにまで踏み入っていった。そのような進出の多くは,スペイン王室が(2)征服者(コンキスタドール)を派遣したことにみられるように,強大な軍事的な後ろ盾をともなっていた。
ヨーロッパ商業の域外への広範な展開は,南北アメリカのみならず,アフリカをも巻き込んでいった。16世紀後半以降にアフリカ西岸地域から西インド諸島やラテンアメリカヘと(3)黒人奴隷が大量にもたらされたことで,ヨーロッパ・南北アメリカ・アフリカが構成する大西洋世界の結びつきは緊密なものとなった。3つの地城を結んで展開された三角貿易は(4)ヨーロッパとアフリカに対照的な影響をもたらした。
18世紀末以降のイギリスの北アメリカ植民地における歴史は,大西洋世界の質的変化を示している。フランスとの七年戦争(北アメリカではフレンチ=インディアン戦争)終結以降、(5)植民地側の本国への反発は急速に強まった。そして最終的には,(6)戦争の勃発,さらには独立宣言の発表へといたった。こうして広大な北アメリカにイギリスから独立した新国家が誕生したことは,ヨーロッパと新大陸の関係の変化を象徴していた。1823年にアメリカ合衆国大統領のモンローが発した(7)モンロー教書(宣言)は,それを色濃く反映している。
- 問1.
- 下線部(1)について、(ア)コロンブスの派遣を決定したスペインの女王の名前を答えなさい。また,(イ)コロンブスが派遣された理由を,当時スペインが置かれていた状況に注目して簡潔に説明しなさい。
- 問2.
- 下線部(2)について,(ア)1521年にアステカ王国を倒した征服者の名前と,(イ)アステカ王国の首都の名称を答えなさい。
- 問3.
- 下線部(3)について,17世紀に大農園(プランテーション)制が大規模に展開しはじめると,黒人奴隷の数も急増した。そうした大農園で生産されていた代表的な農作物を4つ挙げなさい。
- 問4.
- 下線部(4)について,その具体的な内容を説明しなさい。
- 問5.
- 下線部(5)について、その原因と具体的な内容を説明しなさい。
- 問6.
- 下線部(6)について,(ア)独立軍(植民地軍)側にたって戦争に参加したヨーロッパ人の名前を1人挙げなさい。また、(イ)独立宜言の基盤となったジョン・ロックの思想を簡潔に説明しなさい。
- 問7. 下線部(7)について,その政治的な意図を説明しなさい。
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問1 | ア | イザベル | ||||||||
イ | 国土回復運動を完了させたスペインは、海外では東廻りで新航路を開拓しつつあったポルトガルに対抗し、西回りでアジアに到達しようとした。 | |||||||||
問2 | ア | コルテス | イ | テノチティトラン | ||||||
問3 | サトウキビ、綿花、たばこ、コーヒー | |||||||||
問4 | ヨーロッパではイギリスが三角貿易の利益を蓄積して産業革命を準備したが、アフリカでは黒人が奴隷として流出し、人口が減少、産業が停滞した。 | |||||||||
問5 | イギリスは七年戦争などでの出費を回復するため、植民地に対して印紙法、砂糖税、茶税などの経済統制と課税を強めたので植民地側は強く反発した。 | |||||||||
問6 | ア | コシューシコ | ||||||||
イ | 政府が人民の権利を侵害するときは、人民には政府を倒す革命権をもつ。 | |||||||||
問7 | ヨーロッパの強国の大陸への介入を排除し、ラテンアメリカ諸国の独立を支援しながら、南北アメリカ大陸へのアメリカ合衆国の支配権を確立しようとした。 |
※別解:問1(ア):イザベラ 問3:他に、藍、米(コメ)も可 問6(ア):他にラ=ファイエット、サン=シモンがいる 問7:モンロー宣言の意図のなかにはロシアのアラスカ方面からの進出に対する牽制もある。
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