第12章 欧米における近代国民国家の発展
2 ヨーロッパの再編
Text p.240
ア.東方問題とクリミア戦争
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・19世紀後半のヨーロッパ
a 1848年革命 → 経済の好況期となり、西ヨーロッパでの自由主義の発展。
→ イタリアとドイツで、それぞれ統一をめざすb ナショナリズム が高揚。
1853年 c クリミア戦争 勃発 = ナポレオン戦争後、約40年の平和が途絶え、
ナショナリズム問題の軍事的解決への端緒となる。
a 1848年革命 → 経済の好況期となり、西ヨーロッパでの自由主義の発展。
→ イタリアとドイツで、それぞれ統一をめざすb ナショナリズム が高揚。
1853年 c クリミア戦争 勃発 = ナポレオン戦争後、約40年の平和が途絶え、
ナショナリズム問題の軍事的解決への端緒となる。
Text p.241
A 東方問題
a オスマン帝国 の支配下にある中近東のスラブ系民族などなどの独立運動強まる。
→ それに干渉するヨーロッパの強国の対立問題をA 東方問題 いう。
・さらに、b ロシア がd 南下政策 をとり、バルカン半島・地中海への進出を目指す。
→ イギリス、フランス、オーストリアと対立が始まる。
→ それに干渉するヨーロッパの強国の対立問題をA 東方問題 いう。
・さらに、b ロシア がd 南下政策 をとり、バルカン半島・地中海への進出を目指す。
→ イギリス、フランス、オーストリアと対立が始まる。
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B エジプト=トルコ戦争 エジプト 総督▲a ムハンマド=アリー による自治政権。
・第1次 1831年 エジプトがシリア領有を主張してオスマン帝国に対し開戦。(後出)
南下を狙うb ロシア がオスマン帝国を支援。
→ c フランス・イギリス・オーストリア がエジプトを支援し介入。
→ a ムハンマド=アリー のシリア領有認められる。
▲1833年 ウンキャル=スケレッシ条約
= b ロシア はオスマン帝国にd ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 の航行を認めさせる。
・a ムハンマド=アリー エジプト・シリア統治権の世襲を要求。
・第2次 1839年 オスマン帝国がシリア奪還を目指しエジプトを攻撃。(後出)
→ エジプト、フランスの支援で大勝する。 → 英・露・墺・普が干渉。
1840年 ロンドン会議 → ▲翌年、5国海峡協定でウンキャル=スケレッシ条約、破棄される。(後出)
= b ロシア の南下、イギリスなどの干渉で成功せず。
南下を狙うb ロシア がオスマン帝国を支援。
→ c フランス・イギリス・オーストリア がエジプトを支援し介入。
→ a ムハンマド=アリー のシリア領有認められる。
▲1833年 ウンキャル=スケレッシ条約
= b ロシア はオスマン帝国にd ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 の航行を認めさせる。
・a ムハンマド=アリー エジプト・シリア統治権の世襲を要求。
・第2次 1839年 オスマン帝国がシリア奪還を目指しエジプトを攻撃。(後出)
→ エジプト、フランスの支援で大勝する。 → 英・露・墺・普が干渉。
1840年 ロンドン会議 → ▲翌年、5国海峡協定でウンキャル=スケレッシ条約、破棄される。(後出)
= b ロシア の南下、イギリスなどの干渉で成功せず。
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C クリミア戦争 ナポレオン戦争後の最初の戦争となる。
・背景 ▲a 聖地管理権 ※をめぐりb ロシア とc オスマン帝国・フランス が対立。 ※解説
・1853年 b ロシア のd ニコライ1世 、ギリシア正教徒の保護を口実にオスマン帝国と開戦。
→ e フランス のf ナポレオン3世 は国内のカトリック教徒の要求を容れてオスマン帝国を支援。
f イギリス はインド方面へのルート維持のためフランスと共同で出兵。
g サルデーニャ はイタリア統一で英仏の支持を得るために参戦。
→ 主としてh クリミア半島 が戦場となる。ロシアのi セヴァストーポリ 要塞をめぐり激戦。
▲中立のj オーストリア 、軍を国境に移動させロシアに圧力かける。
→ ロシア孤立し、55年9月に敗れる。
(k ナイティンゲール が負傷兵の看護に当たったことを機にl 国際赤十字社 創設される。)
・1856年 m パリ条約 :オスマン帝国の領土保全。および
n ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 の閉鎖確認、o 黒海の中立化 約束。
▲ロシアはベッサラビアをモルダヴィアに割譲。モルダヴィアとワラキアの自治承認(→ 後のルーマニア)。
セルビアの自治承認。
・結果 ロシアにとってp 南下政策の挫折。さらに、軍事・産業面の遅れが明確となる。
フランスにとってq ナポレオン3世の国際的権威が高まり、強国として再登場。
▲オスマン帝国では 1839年以来のm タンジマート (西欧化を目指す恩恵革命)を進める。
・1853年 b ロシア のd ニコライ1世 、ギリシア正教徒の保護を口実にオスマン帝国と開戦。
→ e フランス のf ナポレオン3世 は国内のカトリック教徒の要求を容れてオスマン帝国を支援。
f イギリス はインド方面へのルート維持のためフランスと共同で出兵。
g サルデーニャ はイタリア統一で英仏の支持を得るために参戦。
→ 主としてh クリミア半島 が戦場となる。ロシアのi セヴァストーポリ 要塞をめぐり激戦。
▲中立のj オーストリア 、軍を国境に移動させロシアに圧力かける。
→ ロシア孤立し、55年9月に敗れる。
(k ナイティンゲール が負傷兵の看護に当たったことを機にl 国際赤十字社 創設される。)
・1856年 m パリ条約 :オスマン帝国の領土保全。および
n ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 の閉鎖確認、o 黒海の中立化 約束。
▲ロシアはベッサラビアをモルダヴィアに割譲。モルダヴィアとワラキアの自治承認(→ 後のルーマニア)。
セルビアの自治承認。
・結果 ロシアにとってp 南下政策の挫折。さらに、軍事・産業面の遅れが明確となる。
フランスにとってq ナポレオン3世の国際的権威が高まり、強国として再登場。
▲オスマン帝国では 1839年以来のm タンジマート (西欧化を目指す恩恵革命)を進める。
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イ.ロシアの改革
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A アレクサンドル2世の改革 a クリミア戦争 の敗北で改革を迫られる。
・1861年 b 農奴解放令 :農奴(人口の約3の1)の身分的自由、土地所有権を認める。
→ 土地は農村共同体(c ミール )に引き渡されることが多く、改革は不徹底であった。
→ 土地は農村共同体(c ミール )に引き渡されることが多く、改革は不徹底であった。
Text p.242
・ 同 年 d ポーランドの反乱 後、再び専制政治を強化。
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B ナロードニキ運動 改革不徹底、産業未発達のため、市民階級の成長不十分。
・1870年代 都市の知識人(a インテリゲンツィア )が改革の担い手になる。
= 社会主義の影響を受け農民への働きかけを必要と考え、b ”ヴ=ナロード”(人民の中へ)
を標語に農村に入り込んだが、保守的な農民を動かすことが出来ず、行き詰まる。
→ 絶望した一部はc テロリズム 、またはd ニヒリズム に走る。
一方でe アナーキズム が起こる(バクーニン、クロポトキンら)。
= 社会主義の影響を受け農民への働きかけを必要と考え、b ”ヴ=ナロード”(人民の中へ)
を標語に農村に入り込んだが、保守的な農民を動かすことが出来ず、行き詰まる。
→ 絶望した一部はc テロリズム 、またはd ニヒリズム に走る。
一方でe アナーキズム が起こる(バクーニン、クロポトキンら)。
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C 露土戦争 (後出) バルカン半島のスラブ系民族のa パン=スラブ主義 を利用。
・1877年 ギリシア正教徒の反乱を支援してb オスマン帝国 と開戦し、勝利。
→ 戦後c サン=ステファノ条約 でバルカン諸国を独立させ、ロシアの勢力伸びる。
→ 英、墺の反発を受けドイツのビスマルクの調停でd ベルリン会議 開催。
→ ロシアのバルカン進出挫折する。(後出)
→ 戦後c サン=ステファノ条約 でバルカン諸国を独立させ、ロシアの勢力伸びる。
→ 英、墺の反発を受けドイツのビスマルクの調停でd ベルリン会議 開催。
→ ロシアのバルカン進出挫折する。(後出)
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1881年 d アレクサンドル2世 、ナロードニキ(「人民の意思」派)により暗殺される。
ウ.イギリスのヴィクトリア時代
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A ヴィクトリア時代 19世紀 a ヴィクトリア女王 (在1837~1901)の時代
・大英帝国の繁栄 産業革命の進展 → 40年代の恐慌が、50年代に好況に転じる。
1851年 b ロンドン万国博覧会 開催。イギリスの繁栄の象徴的できごととなる。
→ c ヴィクトリア朝 、イギリス▲d 第二帝国 とも言われる。
▲人口の増加・都市への集中(イングランド・ウェールズの計。都市は人口5万以上)
年 代 1750年 1801年 1851年
人 口 約600万 900万 1800万
都市人口 16% 20% 50%
→ ロンドン、バーミンガム、マンチェスター、リヴァプールなどでの都市生活の向上。
1851年 b ロンドン万国博覧会 開催。イギリスの繁栄の象徴的できごととなる。
→ c ヴィクトリア朝 、イギリス▲d 第二帝国 とも言われる。
▲人口の増加・都市への集中(イングランド・ウェールズの計。都市は人口5万以上)
年 代 1750年 1801年 1851年
人 口 約600万 900万 1800万
都市人口 16% 20% 50%
→ ロンドン、バーミンガム、マンチェスター、リヴァプールなどでの都市生活の向上。
・参考:イギリス人の食生活の変化
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B 二大政党制 19世紀なかば以降、つぎの二党が交互に政権を担当するようになる。
・トーリー党→a 保守党 基盤は地主階級、主張は保護貿易主義に近い。
代表的政治家 b ディズレーリ 首相在任 1868,1887~1880
= スエズ運河株式買収、露土戦争への介入など、帝国主義外交政策を進める。(後述)
・ホイッグ党→c 自由党 基盤は産業ブルジョアジー、主張は自由貿易主義に近い。
代表的政治家 d グラッドストン 首相在任 1868~1874,1880~85,1886,1892~94
= 教育法、労働組合法、第3次選挙法改正、アイルランド自治法案など。(次項)
・選挙(小選挙区)によって二大政党の政権交代が可能となり、議会政治の典型となる。
代表的政治家 b ディズレーリ 首相在任 1868,1887~1880
= スエズ運河株式買収、露土戦争への介入など、帝国主義外交政策を進める。(後述)
・ホイッグ党→c 自由党 基盤は産業ブルジョアジー、主張は自由貿易主義に近い。
代表的政治家 d グラッドストン 首相在任 1868~1874,1880~85,1886,1892~94
= 教育法、労働組合法、第3次選挙法改正、アイルランド自治法案など。(次項)
・選挙(小選挙区)によって二大政党の政権交代が可能となり、議会政治の典型となる。
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C 選挙法の改正 1832年 第1回選挙法改正 → 二大政党の形成
・1867年a 第2回選挙法改正 :b 都市労働者 に拡大(有権者、135万→247万)
・1884年c 第3回選挙法改正 :d 農業労働者 に拡大(同、440万に増える)
→ 男子普通選挙に近づく(グラッドストン内閣)
・その他 1870年 e 教育法 → 初等教育の整備。国民教育の進展。
1871年 f 労働組合法 → 労働組合のストライキ権を認める。
・1884年c 第3回選挙法改正 :d 農業労働者 に拡大(同、440万に増える)
→ 男子普通選挙に近づく(グラッドストン内閣)
・その他 1870年 e 教育法 → 初等教育の整備。国民教育の進展。
1871年 f 労働組合法 → 労働組合のストライキ権を認める。
・参考:選挙法改正の歩み
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D アイルランド問題 ケルト系民族の地域。クロムウェルの征服以来、イングランドの支配受ける。
・1801年 イギリスのa アイルランド併合 。カトリック教徒への差別強まる。
→ 「グレート=ブリテンおよびアイルランド連合王国」 となる。国旗 ユニオンジャック の使用。
・1829年 カトリック教徒解放法(前出) アイルランド人も議会に進出、差別撤廃を訴える。
→ カトリックの信仰は認められたが自治は認められず。
・1845~48年 b ジャガイモ飢饉 起こる。多数のアイルランド人がc アメリカ移民 となる。
さらに1846年の穀物法廃止で安価な海外農作物が流入したため、農民の困窮が進む。
・▲独立運動の激化 1848年 青年アイルランド党 の蜂起 → 鎮圧される。
→ 残党が秘密結社 フィニアン を結成。1867年に蜂起するも、失敗。
他に、 アイルランド国民党 は、土地の獲得と1870年代に議会で自治権獲得を目ざす。
1870年 ▲d アイルランド土地法 (グラッドストン内閣) 小作権の安定をはかる。
1880年代 グラッドストン内閣のe アイルランド自治法案 は議会で否決される。 ※解説
→ 「グレート=ブリテンおよびアイルランド連合王国」 となる。国旗 ユニオンジャック の使用。
・1829年 カトリック教徒解放法(前出) アイルランド人も議会に進出、差別撤廃を訴える。
→ カトリックの信仰は認められたが自治は認められず。
・1845~48年 b ジャガイモ飢饉 起こる。多数のアイルランド人がc アメリカ移民 となる。
さらに1846年の穀物法廃止で安価な海外農作物が流入したため、農民の困窮が進む。
・▲独立運動の激化 1848年 青年アイルランド党 の蜂起 → 鎮圧される。
→ 残党が秘密結社 フィニアン を結成。1867年に蜂起するも、失敗。
他に、 アイルランド国民党 は、土地の獲得と1870年代に議会で自治権獲得を目ざす。
1870年 ▲d アイルランド土地法 (グラッドストン内閣) 小作権の安定をはかる。
1880年代 グラッドストン内閣のe アイルランド自治法案 は議会で否決される。 ※解説
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同時に植民地の拡大を進める。アヘン戦争、アロー戦争、インド植民地化など=後述
Text p.243
エ.フランス第二帝政と第三共和政
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A 第二帝政 a ナポレオン3世 (在位1852~70) 専制帝政。
a ナポレオン3世
労働者・社会主義の進出を恐れるc 資本家 階級
フランスの栄光の再現を期待するd 農民・小市民 層
・e パリ万国博覧会 1855年(第2回)と1867年の2回開催。
・首都f パリ の大改造 1853~70年 知事オスマンが実行。
→ 現在のパリ市街の形態となる。
・▲1860年 英仏通商条約締結 自由貿易を受け入れる。
→ g フランス産業革命、完成に向かう。工業化、資本の独占進む。
→ h 鉄道 の普及、投資銀行の出現、デパートの出現など、資本主義化が進行。
・60年代 自由帝政に転換 議会の権限拡大、労働者団結権の承認など一定の自由化を推進。
→ 補足
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B クリミア戦争 1853年~56年(前出)
・a 聖地管理権 をめぐり対立していたb ロシア がオスマン帝国と開戦。
→ c ナポレオン3世 イギリス・サルデーニャと共にオスマン帝国を支援して出兵。
理由:国内のd カトリック教会 の勢力に配慮した。
→ ロシア軍の装備の古さなどに乗じて勝利。
・1856年 パリ条約(前出) オスマン帝国の領土を保全し、e ロシアの南下政策 を阻止。
→ c ナポレオン3世 の名声上がる。
→ c ナポレオン3世 イギリス・サルデーニャと共にオスマン帝国を支援して出兵。
理由:国内のd カトリック教会 の勢力に配慮した。
→ ロシア軍の装備の古さなどに乗じて勝利。
・1856年 パリ条約(前出) オスマン帝国の領土を保全し、e ロシアの南下政策 を阻止。
→ c ナポレオン3世 の名声上がる。
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C その他の積極的外交
・国民の人気を維持するため、フランスの勢力拡大をめざす。
1856~60年 a アロー戦争 → イギリスと共に中国と交戦し、侵略(後出)。
1858~67年 b インドシナ出兵 → フランス領インドシナの成立(後出)。
1859~60年 c イタリア統一戦争 に介入:秘密外交でサルデーニャと同盟を結ぶ(後出)。
→ サルデーニャのオーストリアとの戦争を支援。途中で単独講和する。
1861~67年 d メキシコ出兵 :内乱に干渉してイギリス・スペインを誘い出兵。
→ ハプスブルク家の▲e マクシミリアン をメキシコ皇帝に据える。
→ アメリカの南北戦争に乗じて中米に進出をもくろむも、失敗(14章2節参照)。
→ この失敗を機に人気急落する。
・この間、f レセップス によるg スエズ運河 建設を進める。 1869年開通(後出)。
1856~60年 a アロー戦争 → イギリスと共に中国と交戦し、侵略(後出)。
1858~67年 b インドシナ出兵 → フランス領インドシナの成立(後出)。
1859~60年 c イタリア統一戦争 に介入:秘密外交でサルデーニャと同盟を結ぶ(後出)。
→ サルデーニャのオーストリアとの戦争を支援。途中で単独講和する。
1861~67年 d メキシコ出兵 :内乱に干渉してイギリス・スペインを誘い出兵。
→ ハプスブルク家の▲e マクシミリアン をメキシコ皇帝に据える。
→ アメリカの南北戦争に乗じて中米に進出をもくろむも、失敗(14章2節参照)。
→ この失敗を機に人気急落する。
・この間、f レセップス によるg スエズ運河 建設を進める。 1869年開通(後出)。
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D 普仏戦争(ドイツ=フランス戦争)
・スペイン王位継承問題に介入しプロイセンと対立(1868年)。
・1870年 a ビスマルク の挑発(エムス電報事件)によって開戦したが劣勢に陥る。
→ b セダンの戦い で捕虜になる。
同 年9月 パリ市民が蜂起。皇帝退位してc 第二帝政 終わる。
・1871年1月 パリ開城。d ヴェルサイユ宮殿 でドイツ皇帝即位式を挙行。
→ 2月に講和。ボルドーで国民議会成立。共和派のe ティエール が組閣。
→ f 臨時政府 成立。対独講和を進め、パリ国民軍の武装解除を命令。
・1871年5月 フランクフルト平和条約 g アルザス・ロレーヌ をドイツに割譲。
・1870年 a ビスマルク の挑発(エムス電報事件)によって開戦したが劣勢に陥る。
→ b セダンの戦い で捕虜になる。
同 年9月 パリ市民が蜂起。皇帝退位してc 第二帝政 終わる。
・1871年1月 パリ開城。d ヴェルサイユ宮殿 でドイツ皇帝即位式を挙行。
→ 2月に講和。ボルドーで国民議会成立。共和派のe ティエール が組閣。
→ f 臨時政府 成立。対独講和を進め、パリ国民軍の武装解除を命令。
・1871年5月 フランクフルト平和条約 g アルザス・ロレーヌ をドイツに割譲。
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E パリ=コミューン 1871年3月 パリ市民が臨時政府の対独講和を拒否し、蜂起。
→ 労働者・市民がパリを掌握。政府はベルサイユに逃れる。
・3月26日、コミューン議員を選出。28日、a 自治政府 を樹立。
= 社会主義穏健派、急進派(ブランキ派)、急進的共和主義者、アナキストなどを含む。
施策:ブルジョワ的三権分立の否定、全役職の直接選挙と徹底したリコール制、諸会議の公開、
汚職は死刑、教育の徹底した世俗化、常備軍の廃止などを実施。
・リヨン、マルセイユなどの諸都市でもコミューン運動が起こるが、相互の連絡とれず。
→ ドイツ軍の協力を得た臨時政府軍による攻撃始まる。
・5月21日~28日の“b 血の週間 ”によって崩壊。2万人が殺害され、4万人が逮捕される。
意義:c 世界史上最初の労働者の自治政権として成立した。
→ 後のレーニン、毛沢東などが社会主義革命の最初の試みとして評価する。
・崩壊の影響 パリ=コミューンを支持したd 第1インターナショナル は、コミューン崩壊後の
反動期に次第に力を失い、76年に消滅。(後出)
・3月26日、コミューン議員を選出。28日、a 自治政府 を樹立。
= 社会主義穏健派、急進派(ブランキ派)、急進的共和主義者、アナキストなどを含む。
施策:ブルジョワ的三権分立の否定、全役職の直接選挙と徹底したリコール制、諸会議の公開、
汚職は死刑、教育の徹底した世俗化、常備軍の廃止などを実施。
・リヨン、マルセイユなどの諸都市でもコミューン運動が起こるが、相互の連絡とれず。
→ ドイツ軍の協力を得た臨時政府軍による攻撃始まる。
・5月21日~28日の“b 血の週間 ”によって崩壊。2万人が殺害され、4万人が逮捕される。
意義:c 世界史上最初の労働者の自治政権として成立した。
→ 後のレーニン、毛沢東などが社会主義革命の最初の試みとして評価する。
・崩壊の影響 パリ=コミューンを支持したd 第1インターナショナル は、コミューン崩壊後の
反動期に次第に力を失い、76年に消滅。(後出)
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F 第三共和政 1870(実質は1875)年から~1940年6月まで
・パリ=コミューン鎮圧後、王党派と共和派が争い、次第に共和派が勢力を伸ばす。
1871年8月 a ティエール を初代大統領に選出。
・1875年 b 第三共和政憲法 成立:三権分立 普通選挙 大統領制を規定。
大統領は両院で選出し任期7年、名目的元首。内閣が行政権を握る。議会は二院制。
1871年8月 a ティエール を初代大統領に選出。
・1875年 b 第三共和政憲法 成立:三権分立 普通選挙 大統領制を規定。
大統領は両院で選出し任期7年、名目的元首。内閣が行政権を握る。議会は二院制。
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1880年 c 7月14日 を国民祝祭日とし、フランス革命の理念によって国民統合を進める。
Text p.244
オ.イタリアの統一
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19世紀中頃のイタリア
※1848年の革命 → イタリアの統一 運動(▲a リソルジメント )活発になる。
※1848年の革命 → イタリアの統一 運動(▲a リソルジメント )活発になる。
a マッツィーニ
b カヴール
f ガリバルディ
A 青年イタリア の運動
・1831年 a マッツィーニ が指導して組織する。統一と共和政を目指す。
・1848年 ウィーン三月革命を受け▲b ミラノ で暴動起きる。
→ c サルデーニャ王国 の カルロ=アルベルト 、オーストリアと戦うが敗れる。
・1849年 a マッツィーニ が帰国し、c ローマ共和国 を宣言。
→ ローマ教皇支援のために派遣されたフランス軍によって弾圧され失敗。(前出)
・1848年 ウィーン三月革命を受け▲b ミラノ で暴動起きる。
→ c サルデーニャ王国 の カルロ=アルベルト 、オーストリアと戦うが敗れる。
・1849年 a マッツィーニ が帰国し、c ローマ共和国 を宣言。
→ ローマ教皇支援のために派遣されたフランス軍によって弾圧され失敗。(前出)
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B サルデーニャ王国 イタリア北西部のピエモンテとサルデーニャ島を領有。
・国王a ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 自由主義者のb カヴール を首相に任命。
→ 首都トリノを中心として工業化を進める。国際的地位の向上をさぐる。
1853年 c クリミア戦争 に参加、フランスに協力する。
→ フランスのd ナポレオン3世 との秘密同盟(▲e プロンビエール密約 )成立。
→ 首都トリノを中心として工業化を進める。国際的地位の向上をさぐる。
1853年 c クリミア戦争 に参加、フランスに協力する。
→ フランスのd ナポレオン3世 との秘密同盟(▲e プロンビエール密約 )成立。
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C イタリア統一戦争
・1859年 フランスの支援でa オーストリア と戦う。
→ サルデーニャが有利に進めるが、ナポレオン3世が単独講和( ヴィラフランカ条約 )
→ サルデーニャはb ロンバルディア 獲得にとどまる。
→ サルデーニャが有利に進めるが、ナポレオン3世が単独講和( ヴィラフランカ条約 )
→ サルデーニャはb ロンバルディア 獲得にとどまる。
・1860年 c サヴォイア ・d ニース をフランスに割譲、e 中部イタリア併合 。
同 年 かつて青年イタリアに加わっていたf ガリバルディ (右図)
千人隊(赤シャツ隊)を率いてg シチリア占領 、さらにh ナポリ王国 を征服
→ 征服地をi サルデーニャ王国 のj ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 に献上。
同 年 かつて青年イタリアに加わっていたf ガリバルディ (右図)
千人隊(赤シャツ隊)を率いてg シチリア占領 、さらにh ナポリ王国 を征服
→ 征服地をi サルデーニャ王国 のj ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 に献上。
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D イタリア王国
・1861年 a ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 を国王として統一王国成立する。
首都は初め、ピエモンテ地方の トリノ におかれる。
首都は初め、ピエモンテ地方の トリノ におかれる。
Text p.245
・1866年 b ヴェネツィア併合 普墺戦争でプロイセンを支援、勝利によって獲得。
・1870年 普仏戦争の際、c ローマ教皇領を占領 。教皇「ヴァチカンの囚人」となる。
・1870年 普仏戦争の際、c ローマ教皇領を占領 。教皇「ヴァチカンの囚人」となる。
・d 1871 年 e ローマ を首都とし、イタリアの統一完成。
→ 補足:イタリア統一の二つの道
→ 補足:イタリア統一の二つの道
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残された問題・f トリエステ 、g 南チロル などの「h 未回収のイタリア 」の存在
・イタリア王国とi ヴァチカン のローマ教皇庁との対立
・南北の格差、などが残る。
・イタリア王国とi ヴァチカン のローマ教皇庁との対立
・南北の格差、などが残る。
カ.ドイツの統一
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※ウィーン体制下、ドイツ連邦のもとで、政治的分裂続く。
A ドイツ関税同盟 の発足 a プロイセン を中心に、結成される。
・1834年 b オーストリア を除く諸邦で発足。
▲経済学者c リスト の保護貿易主義の理論による。
→ 商工業者が望むドイツの経済的統一をほぼ実現。 → 政治的統一に進む。
・工業化の推進
▲d クルップ社 の発展 エッセンに設立された軍需工場。「大砲王」といわれる。
▲経済学者c リスト の保護貿易主義の理論による。
→ 商工業者が望むドイツの経済的統一をほぼ実現。 → 政治的統一に進む。
・工業化の推進
▲d クルップ社 の発展 エッセンに設立された軍需工場。「大砲王」といわれる。
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B フランクフルト国民議会 1848年 三月革命に際し、自由主義者が開催。
・統一路線をめぐり対立
a 大ドイツ主義 :オーストリアのドイツ人居住地域を含む統一を主張。
b 小ドイツ主義 :オーストリアを含まず、プロイセンを中心とした統一を主張。
→ 統一失敗。 自由主義運動は後退しc ユンカー 階級による上からの統一運動に替わる。
a 大ドイツ主義 :オーストリアのドイツ人居住地域を含む統一を主張。
b 小ドイツ主義 :オーストリアを含まず、プロイセンを中心とした統一を主張。
→ 統一失敗。 自由主義運動は後退しc ユンカー 階級による上からの統一運動に替わる。
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C ビスマルク の登場
・1861年 プロイセン王a ヴィルヘルム1世 が首相に任命
=b 鉄血政策 :c “言論や多数決でなく、鉄と血によってのみ解決される” と演説。
・1864年 d デンマーク戦争 :e シュレスヴィヒ・ホルシュタイン 公国のドイツ系
住民のデンマークからの自治要求を口実に、オーストリアを誘い、デンマークと戦う。
→ 圧勝し、シュレスヴィヒをプロイセン、ホルスタインをオーストリア行政下に置く。
・1866年 f プロイセン=オーストリア戦争 eの帰属問題から開戦。7週間で圧勝。
=b 鉄血政策 :c “言論や多数決でなく、鉄と血によってのみ解決される” と演説。
・1864年 d デンマーク戦争 :e シュレスヴィヒ・ホルシュタイン 公国のドイツ系
住民のデンマークからの自治要求を口実に、オーストリアを誘い、デンマークと戦う。
→ 圧勝し、シュレスヴィヒをプロイセン、ホルスタインをオーストリア行政下に置く。
・1866年 f プロイセン=オーストリア戦争 eの帰属問題から開戦。7週間で圧勝。
Text p.246
→ 1867年 ドイツ連邦を解体、プロイセンを盟主とするg 北ドイツ連邦 を結成。
→ 南ドイツ諸邦も同調しドイツ統一完成に近づく。h オーストリア ※は排除される。
→ フランスを仮想敵国として軍備拡充を進める。
※h オーストリア の変化 fでの敗北の結果、
→ 1867年 「妥協(i アウスグライヒ )」成立。
= ハンガリーの独立を認め、同君連合のj オーストリア=ハンガリー帝国 (二重帝国)となる。
皇帝k フランツ=ヨーゼフ1世 (在位1848~1914) → 多民族国家としての民族問題は続く。
→ 南ドイツ諸邦も同調しドイツ統一完成に近づく。h オーストリア ※は排除される。
→ フランスを仮想敵国として軍備拡充を進める。
※h オーストリア の変化 fでの敗北の結果、
→ 1867年 「妥協(i アウスグライヒ )」成立。
= ハンガリーの独立を認め、同君連合のj オーストリア=ハンガリー帝国 (二重帝国)となる。
皇帝k フランツ=ヨーゼフ1世 (在位1848~1914) → 多民族国家としての民族問題は続く。
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D 普仏戦争
・1870年7月 a ナポレオン3世 を挑発して開戦。(前出)
→ 9月 b セダンの戦い でa ナポレオン3世 を捕虜とする。さらにパリを包囲。
→ フランス軍に勝利し、c アルザス・ロレーヌ の両州と賠償金を獲得。
→ 9月 b セダンの戦い でa ナポレオン3世 を捕虜とする。さらにパリを包囲。
→ フランス軍に勝利し、c アルザス・ロレーヌ の両州と賠償金を獲得。
・地図 1871年 統一されたドイツ帝国の領域
a セダン(スダン)
b アルザス(エルザス)
c ロレーヌ(ロートリンゲン)
d シュレスヴィヒ
e ホルシュタイン
f シュレジェン
g プロイセン
b アルザス(エルザス)
c ロレーヌ(ロートリンゲン)
d シュレスヴィヒ
e ホルシュタイン
f シュレジェン
g プロイセン
点線は現在のドイツ共和国の国境線。
1815~66年のドイツ連邦に加わっていたオーストリア、ベーメンなどは除外され、プロイセン領の東プロイセンが加えられた。
現在のドイツに比べ、著しく東方、つまり現在のポーランドに食い込んでいたことを注意しておこう。
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キ.ドイツ帝国の成立とビスマルク外交
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A ドイツ帝国 成立
・a 1871 年1月 b ヴィルヘルム1世 、フランスのc ヴェルサイユ宮殿 で即位式を挙行。
→ ・図と解説
→ ・図と解説
・d ドイツ帝国憲法 の制定。その内容。
プロイセン王がe ドイツ皇帝(カイザー) を兼ねる立憲君主制。
22の君主国と3自由市からなるf 連邦制 をとる。
宰相(首相)は皇帝が任命し、皇帝に対してのみ責任を負う。(議院内閣制ではない)
議会は▲g 連邦参議院 ※とh 帝国議会 ※※の二院制。
※連邦を構成する君主国と市の代表で構成。法律批准権など強い権限を持つ。
※※25歳以上の男子普通選挙。予算審議権は認められるが招集権は皇帝が持つ。
プロイセン王がe ドイツ皇帝(カイザー) を兼ねる立憲君主制。
22の君主国と3自由市からなるf 連邦制 をとる。
宰相(首相)は皇帝が任命し、皇帝に対してのみ責任を負う。(議院内閣制ではない)
議会は▲g 連邦参議院 ※とh 帝国議会 ※※の二院制。
※連邦を構成する君主国と市の代表で構成。法律批准権など強い権限を持つ。
※※25歳以上の男子普通選挙。予算審議権は認められるが招集権は皇帝が持つ。
・ドイツ帝国の特徴 形式は立憲君主制だが、皇帝の権限が強大であり、議会は極めて弱体だった。
・帝国の基盤 i ユンカー 階級が官僚・軍隊の要職を占め、帝国を支えた。
・帝国の基盤 i ユンカー 階級が官僚・軍隊の要職を占め、帝国を支えた。
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B ビスマルク時代 1871~90 宰相として20年、独裁的な権力をふるう。
・a 文化闘争 中央集権強化に反対する南西ドイツのb カトリック勢力 を弾圧。
・c 社会主義運動 の活発化 工業発展とともに労働者階級が増大。専制政治への批判強める。
1860年代 d ラサール らが社会主義、e ベーベル らがマルクス主義を組織。
1875年 f ドイツ社会主義労働者党 ※を結成、ゴータ綱領を採択し合同、。
※後の1890年にg ドイツ社会民主党 に改称。
・c 社会主義運動 の活発化 工業発展とともに労働者階級が増大。専制政治への批判強める。
1860年代 d ラサール らが社会主義、e ベーベル らがマルクス主義を組織。
1875年 f ドイツ社会主義労働者党 ※を結成、ゴータ綱領を採択し合同、。
※後の1890年にg ドイツ社会民主党 に改称。
Text p.247
a ビスマルク
・ビスマルクのh 社会政策 = i アメとムチ と言われる。
1878年 j 社会主義者鎮圧法 を制定。社会主義政党を非合法として弾圧。
一方で、k 社会保険制度 を充実させる:災害保険・疾病保険・養老保険などを実施。
・1879年 l 保護関税法 :ユンカーの農場経営とドイツ重工業を保護するため制定。
→ m 「鉄(産業資本家)と穀物(ユンカー)の同盟」 と言われた。
1878年 j 社会主義者鎮圧法 を制定。社会主義政党を非合法として弾圧。
一方で、k 社会保険制度 を充実させる:災害保険・疾病保険・養老保険などを実施。
・1879年 l 保護関税法 :ユンカーの農場経営とドイツ重工業を保護するため制定。
→ m 「鉄(産業資本家)と穀物(ユンカー)の同盟」 と言われた。
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C ビスマルク外交 フランスの再起を恐れ、その孤立化を維持する。
・1873年 a 三帝同盟 を結成:ビスマルクの主唱による、フランスを抑えるための軍事同盟。
=b ドイツ (ヴィルヘルム1世)・c オーストリア (フランツ=ヨーゼフ1世)
・d ロシア (アレクサンドル2世)の三皇帝が署名。
・ロシアはe パン=スラブ主義 をとり、バルカンでオーストリアとの対立が深刻となる。
・1877年 f ロシア=トルコ戦争(露土戦争) ロシアの圧倒的勝利となる。
→ g サン=ステファノ条約 ブルガリアを保護下におくなど、ロシアに有利であった。
→ h イギリス ・c オーストリア が反発。ビスマルク、調停に乗りだす。
=b ドイツ (ヴィルヘルム1世)・c オーストリア (フランツ=ヨーゼフ1世)
・d ロシア (アレクサンドル2世)の三皇帝が署名。
・ロシアはe パン=スラブ主義 をとり、バルカンでオーストリアとの対立が深刻となる。
・1877年 f ロシア=トルコ戦争(露土戦争) ロシアの圧倒的勝利となる。
→ g サン=ステファノ条約 ブルガリアを保護下におくなど、ロシアに有利であった。
→ h イギリス ・c オーストリア が反発。ビスマルク、調停に乗りだす。
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D ベルリン会議 1878年 a バルカン問題 をめぐる墺(英)と露の対立を調整。
・b 「公正なる仲介人」 を自称する。
・c ベルリン条約 締結 → d サン=ステファノ条約 は廃棄。
→ 三帝同盟の崩壊。
・1879年 l 独墺同盟 の結成。三帝同盟にかわるビスマルク外交戦略。
・c ベルリン条約 締結 → d サン=ステファノ条約 は廃棄。
e ルーマニア 、f セルビア 、g モンテネグロ の独立の承認。
h ブルガリア はオスマン帝国内の自治国とする。
イギリスはオスマン帝国からi キプロス を獲得。 → 中東進出を狙う。
オーストリアはj ボスニア・ヘルツェゴヴィナ の統治権を認められる。
フランスのチュニス(オスマン帝国領)進出を認められる。
→ ロシアのバルカンでのk 南下政策 が抑えられ、中央アジア・東アジア方面に向かう。h ブルガリア はオスマン帝国内の自治国とする。
イギリスはオスマン帝国からi キプロス を獲得。 → 中東進出を狙う。
オーストリアはj ボスニア・ヘルツェゴヴィナ の統治権を認められる。
フランスのチュニス(オスマン帝国領)進出を認められる。
→ 三帝同盟の崩壊。
・1879年 l 独墺同盟 の結成。三帝同盟にかわるビスマルク外交戦略。
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Text p.248
E.ビスマルク外交の展開
・1881年 三帝同盟を再建(新三帝同盟)。
→ フランスのチュニジア進出を警戒するa イタリア を抱き込みフランス包囲網を形成。
・1882年 b 三国同盟 の締結:c ドイツ ・d オーストリア ・a イタリア の秘密軍事同盟。
→ 第一次世界大戦に至る二大陣営を形成する(後にイタリアは離脱)。
1887年 バルカンでのd オーストリア とe ロシア の対立激化 → 三帝同盟解体。
同 年 c ドイツ ・e ロシア がf 再保障条約 を締結。これも秘密同盟であった。
意味:g ドイツは三国同盟でオーストリアと同盟しながらそれと対立しているロシアとも同盟した。
・フランスの孤立とドイツの安全のための列強と同盟関係をh ビスマルク体制 という。
→ フランスのチュニジア進出を警戒するa イタリア を抱き込みフランス包囲網を形成。
・1882年 b 三国同盟 の締結:c ドイツ ・d オーストリア ・a イタリア の秘密軍事同盟。
→ 第一次世界大戦に至る二大陣営を形成する(後にイタリアは離脱)。
1887年 バルカンでのd オーストリア とe ロシア の対立激化 → 三帝同盟解体。
同 年 c ドイツ ・e ロシア がf 再保障条約 を締結。これも秘密同盟であった。
意味:g ドイツは三国同盟でオーストリアと同盟しながらそれと対立しているロシアとも同盟した。
・フランスの孤立とドイツの安全のための列強と同盟関係をh ビスマルク体制 という。
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1888年 ドイツ皇帝i ヴィルヘルム2世 即位。 1890年 ビスマルクを罷免。
= ビスマルク時代終わる。(後出)
= ビスマルク時代終わる。(後出)
ク.北ヨーロッパ諸国
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・a スウェーデン
18世紀初めの北方戦争でロシアに敗れ、バルト海の制海権をなくす。
北ドイツの領土はプロイセンに、
1809年 b フィンランド ※はロシアに奪われる。
19世紀初め、憲法を制定、責任内閣制をしく。
※ロシア皇帝が大公を兼ねる自治国となる。
18世紀初めの北方戦争でロシアに敗れ、バルト海の制海権をなくす。
北ドイツの領土はプロイセンに、
1809年 b フィンランド ※はロシアに奪われる。
19世紀初め、憲法を制定、責任内閣制をしく。
※ロシア皇帝が大公を兼ねる自治国となる。
・c ノルウェー
もとデンマーク領。ウィーン会議でスウェーデン領となる。
独立運動を続け、憲法を制定、1905年 国民投票で平和的に独立を達成。
もとデンマーク領。ウィーン会議でスウェーデン領となる。
独立運動を続け、憲法を制定、1905年 国民投票で平和的に独立を達成。
・d デンマーク
1864年 プロイセンにe シュレスヴィヒ・ホルスタイン を奪われる。
酪農を主とする国づくりを行う。
→ 北欧三国はいずれも立憲君主制を採り、議会政治が発達し、小国として安定する。
1864年 プロイセンにe シュレスヴィヒ・ホルスタイン を奪われる。
酪農を主とする国づくりを行う。
→ 北欧三国はいずれも立憲君主制を採り、議会政治が発達し、小国として安定する。
▲その他 南ヨーロッパ諸国
・f スペイン 1820年 立憲革命、列強の干渉で失敗。ラテンアメリカの植民地独立。
1868年 再び革命起こり、ブルボン朝の国王亡命。73~74年、一時共和政となる。
・g ポルトガル 1822年 ブラジルが独立。植民地帝国が崩壊。アフリカ植民地は残る。
・f スペイン 1820年 立憲革命、列強の干渉で失敗。ラテンアメリカの植民地独立。
1868年 再び革命起こり、ブルボン朝の国王亡命。73~74年、一時共和政となる。
・g ポルトガル 1822年 ブラジルが独立。植民地帝国が崩壊。アフリカ植民地は残る。
ケ.国際的諸運動の進展
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・社会主義運動
1864年 a 第1インターナショナル ロンドンで結成された労働者の最初の国際的組織
b マルクス が設立宣言と規約を起草。 → 国際労働運動 の始まり。
→ 内部でアナーキズムのプルードン派、c バクーニン らと対立。
→ 1871年 d パリ=コミューン を支援、各国官憲から弾圧強まる。
→ パリ=コミューン崩壊後、1876年に解散。
▲1886年5月1日 アメリカで メーデー が始まる。1日8時間労働を要求。
1889年 e 第2インターナショナル パリで結成 (第14章1節へ)
→ 5月1日を8時間労働実現の国際的示威行動の日と提唱、以後世界的に定着する。
・f 国際赤十字社 の創設
g クリミア戦争 での ナイティンゲール (イギリスの看護婦)の活躍。
1864年 h デュナン が発案してジュネーヴで 赤十字条約 を締結。
・近代オリンピックの創始
1896年 第1回 i 国際オリンピック大会 アテネで開催。
フランスの▲j クーベルタン の提唱。
1864年 a 第1インターナショナル ロンドンで結成された労働者の最初の国際的組織
b マルクス が設立宣言と規約を起草。 → 国際労働運動 の始まり。
→ 内部でアナーキズムのプルードン派、c バクーニン らと対立。
→ 1871年 d パリ=コミューン を支援、各国官憲から弾圧強まる。
→ パリ=コミューン崩壊後、1876年に解散。
▲1886年5月1日 アメリカで メーデー が始まる。1日8時間労働を要求。
1889年 e 第2インターナショナル パリで結成 (第14章1節へ)
→ 5月1日を8時間労働実現の国際的示威行動の日と提唱、以後世界的に定着する。
・f 国際赤十字社 の創設
g クリミア戦争 での ナイティンゲール (イギリスの看護婦)の活躍。
1864年 h デュナン が発案してジュネーヴで 赤十字条約 を締結。
・近代オリンピックの創始
1896年 第1回 i 国際オリンピック大会 アテネで開催。
フランスの▲j クーベルタン の提唱。