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第12章 欧米における近代国民国家の発展

2 ヨーロッパの再編

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ア.東方問題とクリミア戦争 用語リストへ
・19世紀後半のヨーロッパ
 a 1848年革命  → 経済の好況期となり、西ヨーロッパでの自由主義の発展。
  → イタリアとドイツで、それぞれ統一をめざすb ナショナリズム が高揚。
 1853年 c クリミア戦争 勃発 = ナポレオン戦争後、約40年の平和が途絶え、
       ナショナリズム問題の軍事的解決への端緒となる。

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 東方問題 
 オスマン帝国 の支配下にある中近東のスラブ系民族などなどの独立運動強まる。
  → それに干渉するヨーロッパの強国の対立問題をA 東方問題  いう。
・さらに、b ロシア がd 南下政策 をとり、バルカン半島・地中海への進出を目指す。
  → イギリス、フランス、オーストリアと対立が始まる。
 エジプト=トルコ戦争   エジプト 総督▲a ムハンマド=アリー による自治政権。
第1次 1831年 エジプトがシリア領有を主張してオスマン帝国に対し開戦。(後出)
   南下を狙うb ロシア がオスマン帝国を支援。
  → c フランス・イギリス・オーストリア がエジプトを支援し介入。
  → a ムハンマド=アリー のシリア領有認められる。
 ▲1833年  ウンキャル=スケレッシ条約
  = b ロシア はオスマン帝国にd ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 の航行を認めさせる。
・a ムハンマド=アリー エジプト・シリア統治権の世襲を要求。
第2次 1839年 オスマン帝国がシリア奪還を目指しエジプトを攻撃。(後出)
  → エジプト、フランスの支援で大勝する。 → 英・露・墺・普が干渉。
 1840年 ロンドン会議 → ▲翌年、5国海峡協定でウンキャル=スケレッシ条約、破棄される。(後出)
  = b ロシア の南下、イギリスなどの干渉で成功せず。
 クリミア戦争  ナポレオン戦争後の最初の戦争となる。
・背景 ▲a 聖地管理権 ※をめぐりb ロシア とc オスマン帝国・フランス が対立。 ※解説
・1853年 b ロシア のd ニコライ1世 、ギリシア正教徒の保護を口実にオスマン帝国と開戦。
  → e フランス のf ナポレオン3世 は国内のカトリック教徒の要求を容れてオスマン帝国を支援。
    f イギリス はインド方面へのルート維持のためフランスと共同で出兵。
    g サルデーニャ はイタリア統一で英仏の支持を得るために参戦。
  → 主としてh クリミア半島 が戦場となる。ロシアのi セヴァストーポリ 要塞をめぐり激戦。
    ▲中立のj オーストリア 、軍を国境に移動させロシアに圧力かける。
  → ロシア孤立し、55年9月に敗れる。
  (k ナイティンゲール が負傷兵の看護に当たったことを機にl 国際赤十字社 創設される。)
・1856年 m パリ条約 :オスマン帝国の領土保全。および
  n ダーダネルス・ボスフォラス両海峡 の閉鎖確認、o 黒海の中立化 約束。
 ▲ロシアはベッサラビアをモルダヴィアに割譲。モルダヴィアとワラキアの自治承認(→ 後のルーマニア)。
  セルビアの自治承認。
・結果 ロシアにとってp 南下政策の挫折。さらに、軍事・産業面の遅れが明確となる。 
    フランスにとってq ナポレオン3世の国際的権威が高まり、強国として再登場。 
   ▲オスマン帝国では 1839年以来のm タンジマート (西欧化を目指す恩恵革命)を進める。
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イ.ロシアの改革 用語リストへ
 アレクサンドル2世の改革   a クリミア戦争 の敗北で改革を迫られる。
・1861年 b 農奴解放令 :農奴(人口の約3の1)の身分的自由、土地所有権を認める。
  → 土地は農村共同体(c ミール )に引き渡されることが多く、改革は不徹底であった。

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・  同  年 d ポーランドの反乱 後、再び専制政治を強化。
 ナロードニキ運動   改革不徹底、産業未発達のため、市民階級の成長不十分。
・1870年代 都市の知識人(a インテリゲンツィア )が改革の担い手になる。
  = 社会主義の影響を受け農民への働きかけを必要と考え、b  ”ヴ=ナロード”(人民の中へ) 
    を標語に農村に入り込んだが、保守的な農民を動かすことが出来ず、行き詰まる。
  → 絶望した一部はc テロリズム 、またはd  ニヒリズム に走る。
    一方でe アナーキズム が起こる(バクーニン、クロポトキンら)。
 露土戦争 (後出) バルカン半島のスラブ系民族のa パン=スラブ主義 を利用。
・1877年 ギリシア正教徒の反乱を支援してb オスマン帝国 と開戦し、勝利。
  → 戦後c サン=ステファノ条約 でバルカン諸国を独立させ、ロシアの勢力伸びる。
  → 英、墺の反発を受けドイツのビスマルクの調停でd ベルリン会議 開催。
  → ロシアのバルカン進出挫折する。(後出)
1881年 d アレクサンドル2世 、ナロードニキ(「人民の意思」派)により暗殺される。
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ウ.イギリスのヴィクトリア時代 用語リストへ
 ヴィクトリア時代   19世紀 a ヴィクトリア女王 (在1837~1901)の時代
・大英帝国の繁栄  産業革命の進展 → 40年代の恐慌が、50年代に好況に転じる。
 1851年 b ロンドン万国博覧会 開催。イギリスの繁栄の象徴的できごととなる。
  → c ヴィクトリア朝 、イギリス▲d 第二帝国 とも言われる。
 ▲人口の増加・都市への集中(イングランド・ウェールズの計。都市は人口5万以上)
   年  代   1750年  1801年  1851年
   人  口   約600万   900万  1800万
   都市人口     16%    20%    50%
 → ロンドン、バーミンガム、マンチェスター、リヴァプールなどでの都市生活の向上。
参考:イギリス人の食生活の変化
 二大政党制  19世紀なかば以降、つぎの二党が交互に政権を担当するようになる。 
・トーリー党→a 保守党  基盤は地主階級、主張は保護貿易主義に近い。
  代表的政治家 b ディズレーリ  首相在任 1868,1887~1880
   = スエズ運河株式買収、露土戦争への介入など、帝国主義外交政策を進める。(後述)
・ホイッグ党→c 自由党   基盤は産業ブルジョアジー、主張は自由貿易主義に近い。
  代表的政治家 d グラッドストン  首相在任 1868~1874,1880~85,1886,1892~94
   = 教育法、労働組合法、第3次選挙法改正、アイルランド自治法案など。(次項)
・選挙(小選挙区)によって二大政党の政権交代が可能となり、議会政治の典型となる。
 選挙法の改正  1832年 第1回選挙法改正 → 二大政党の形成
・1867年a 第2回選挙法改正 :b 都市労働者 に拡大(有権者、135万→247万)
・1884年c 第3回選挙法改正 :d 農業労働者 に拡大(同、440万に増える)
   → 男子普通選挙に近づく(グラッドストン内閣)
・その他 1870年 e 教育法 → 初等教育の整備。国民教育の進展。
     1871年 f 労働組合法 → 労働組合のストライキ権を認める。
参考:選挙法改正の歩み
 アイルランド問題  ケルト系民族の地域。クロムウェルの征服以来、イングランドの支配受ける。
・1801年 イギリスのa アイルランド併合 。カトリック教徒への差別強まる。
  →  「グレート=ブリテンおよびアイルランド連合王国」 となる。国旗 ユニオンジャック の使用。
・1829年 カトリック教徒解放法(前出) アイルランド人も議会に進出、差別撤廃を訴える。
  → カトリックの信仰は認められたが自治は認められず。
・1845~48年 b ジャガイモ飢饉 起こる。多数のアイルランド人がc アメリカ移民 となる。
  さらに1846年の穀物法廃止で安価な海外農作物が流入したため、農民の困窮が進む。
・▲独立運動の激化  1848年  青年アイルランド党 の蜂起 → 鎮圧される。
  → 残党が秘密結社 フィニアン を結成。1867年に蜂起するも、失敗。
  他に、 アイルランド国民党 は、土地の獲得と1870年代に議会で自治権獲得を目ざす。
 1870年 ▲d アイルランド土地法 (グラッドストン内閣) 小作権の安定をはかる。
 1880年代 グラッドストン内閣のe アイルランド自治法案 は議会で否決される。 ※解説
同時に植民地の拡大を進める。アヘン戦争、アロー戦争、インド植民地化など=後述

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エ.フランス第二帝政と第三共和政 用語リストへ
 第二帝政  a ナポレオン3世 (在位1852~70) 専制帝政。
ナポレオン3世

 ナポレオン3世  

・支持基盤 キリスト教b カトリック教会 の勢力
      労働者・社会主義の進出を恐れるc 資本家 階級
      フランスの栄光の再現を期待するd 農民・小市民 
・e パリ万国博覧会  1855年(第2回)と1867年の2回開催。
・首都f パリ の大改造 1853~70年 知事オスマンが実行。
  → 現在のパリ市街の形態となる。
・▲1860年 英仏通商条約締結 自由貿易を受け入れる。
  → g フランス産業革命、完成に向かう。工業化、資本の独占進む。 
  → h 鉄道 の普及、投資銀行の出現、デパートの出現など、資本主義化が進行。
・60年代 自由帝政に転換 議会の権限拡大、労働者団結権の承認など一定の自由化を推進。
  → 補足
 クリミア戦争  1853年~56年(前出)
・a 聖地管理権 をめぐり対立していたb ロシア がオスマン帝国と開戦。
 → c ナポレオン3世 イギリス・サルデーニャと共にオスマン帝国を支援して出兵。
 理由:国内のd カトリック教会 の勢力に配慮した。
  → ロシア軍の装備の古さなどに乗じて勝利。
・1856年 パリ条約(前出) オスマン帝国の領土を保全し、e ロシアの南下政策 を阻止。
  → c ナポレオン3世 の名声上がる。
C その他の積極的外交
・国民の人気を維持するため、フランスの勢力拡大をめざす。
 1856~60年 a アロー戦争 → イギリスと共に中国と交戦し、侵略(後出)。
 1858~67年 b インドシナ出兵 → フランス領インドシナの成立(後出)。
 1859~60年 c イタリア統一戦争 に介入:秘密外交でサルデーニャと同盟を結ぶ(後出)。
  → サルデーニャのオーストリアとの戦争を支援。途中で単独講和する。
 1861~67年 d メキシコ出兵 :内乱に干渉してイギリス・スペインを誘い出兵。
  → ハプスブルク家の▲e マクシミリアン をメキシコ皇帝に据える。
  → アメリカの南北戦争に乗じて中米に進出をもくろむも、失敗(14章2節参照)。
  → この失敗を機に人気急落する。
・この間、f レセップス によるg スエズ運河 建設を進める。 1869年開通(後出)。
 普仏戦争(ドイツ=フランス戦争) 
スペイン王位継承問題に介入しプロイセンと対立(1868年)。
・1870年 a ビスマルク の挑発(エムス電報事件)によって開戦したが劣勢に陥る。
  → b セダンの戦い で捕虜になる。
  同  年9月 パリ市民が蜂起。皇帝退位してc 第二帝政 終わる。
・1871年1月 パリ開城。d ヴェルサイユ宮殿 でドイツ皇帝即位式を挙行。
  → 2月に講和。ボルドーで国民議会成立。共和派のe ティエール が組閣。
  → f 臨時政府 成立。対独講和を進め、パリ国民軍の武装解除を命令。
・1871年5月 フランクフルト平和条約 g アルザス・ロレーヌ をドイツに割譲。
 パリ=コミューン   1871年3月 パリ市民が臨時政府の対独講和を拒否し、蜂起。
 → 労働者・市民がパリを掌握。政府はベルサイユに逃れる。
・3月26日、コミューン議員を選出。28日、a 自治政府 を樹立。
  = 社会主義穏健派、急進派(ブランキ派)、急進的共和主義者、アナキストなどを含む。
 施策:ブルジョワ的三権分立の否定、全役職の直接選挙と徹底したリコール制、諸会議の公開、
    汚職は死刑、教育の徹底した世俗化、常備軍の廃止などを実施。
・リヨン、マルセイユなどの諸都市でもコミューン運動が起こるが、相互の連絡とれず。
  → ドイツ軍の協力を得た臨時政府軍による攻撃始まる。
・5月21日~28日の“b 血の週間 ”によって崩壊。2万人が殺害され、4万人が逮捕される。
 意義:c 世界史上最初の労働者の自治政権として成立した。 
  → 後のレーニン、毛沢東などが社会主義革命の最初の試みとして評価する。
・崩壊の影響 パリ=コミューンを支持したd 第1インターナショナル は、コミューン崩壊後の
       反動期に次第に力を失い、76年に消滅。(後出)
 第三共和政   1870(実質は1875)年から~1940年6月まで
・パリ=コミューン鎮圧後、王党派と共和派が争い、次第に共和派が勢力を伸ばす。
 1871年8月 a ティエール を初代大統領に選出。
・1875年 b 第三共和政憲法 成立:三権分立 普通選挙 大統領制を規定。
   大統領は両院で選出し任期7年、名目的元首。内閣が行政権を握る。議会は二院制。
1880年 c 7月14日 を国民祝祭日とし、フランス革命の理念によって国民統合を進める。  

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オ.イタリアの統一 用語リストへ
 19世紀中頃のイタリア 
 ※1848年の革命 →  イタリアの統一 運動(▲a リソルジメント )活発になる。
マッツィーニ

 マッツィーニ  


カヴール

 カヴール   


ガリヴァルディ

 ガリバルディ   

 青年イタリア の運動
・1831年 a マッツィーニ が指導して組織する。統一と共和政を目指す。
・1848年 ウィーン三月革命を受け▲b ミラノ で暴動起きる。
  → c サルデーニャ王国  カルロ=アルベルト 、オーストリアと戦うが敗れる。
・1849年 a マッツィーニ が帰国し、c ローマ共和国 を宣言。
  → ローマ教皇支援のために派遣されたフランス軍によって弾圧され失敗。(前出)
 サルデーニャ王国  イタリア北西部のピエモンテとサルデーニャ島を領有。
・国王a ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世  自由主義者のb カヴール を首相に任命。
  → 首都トリノを中心として工業化を進める。国際的地位の向上をさぐる。
 1853年 c クリミア戦争 に参加、フランスに協力する。
  → フランスのd ナポレオン3世 との秘密同盟(▲e プロンビエール密約 )成立。
 イタリア統一戦争 
・1859年 フランスの支援でa オーストリア と戦う。
  → サルデーニャが有利に進めるが、ナポレオン3世が単独講和( ヴィラフランカ条約
  → サルデーニャはb ロンバルディア 獲得にとどまる。
・1860年 c サヴォイア ・d ニース をフランスに割譲、e 中部イタリア併合 
  同  年 かつて青年イタリアに加わっていたf ガリバルディ (右図)
  千人隊(赤シャツ隊)を率いてg シチリア占領 、さらにh ナポリ王国 を征服
  → 征服地をi サルデーニャ王国 のj ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 に献上。
 イタリア王国 
・1861年 a ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 を国王として統一王国成立する。
   首都は初め、ピエモンテ地方の トリノ におかれる。

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・1866年 b ヴェネツィア併合  普墺戦争でプロイセンを支援、勝利によって獲得。
・1870年 普仏戦争の際、c ローマ教皇領を占領 。教皇「ヴァチカンの囚人」となる。
・d 1871 年 e ローマ を首都とし、イタリアの統一完成。
 → 補足:イタリア統一の二つの道
残された問題・f トリエステ 、g 南チロル などの「h 未回収のイタリア 」の存在
      ・イタリア王国とi ヴァチカン のローマ教皇庁との対立
      ・南北の格差、などが残る。
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カ.ドイツの統一 用語リストへ
 ※ウィーン体制下、ドイツ連邦のもとで、政治的分裂続く。
 ドイツ関税同盟   の発足 a プロイセン を中心に、結成される。 
・1834年 b オーストリア を除く諸邦で発足。
  ▲経済学者c リスト の保護貿易主義の理論による。
  → 商工業者が望むドイツの経済的統一をほぼ実現。 → 政治的統一に進む。
・工業化の推進
 ▲d クルップ社 の発展 エッセンに設立された軍需工場。「大砲王」といわれる。
 フランクフルト国民議会   1848年 三月革命に際し、自由主義者が開催。
・統一路線をめぐり対立
  a 大ドイツ主義 :オーストリアのドイツ人居住地域を含む統一を主張。
  b 小ドイツ主義 :オーストリアを含まず、プロイセンを中心とした統一を主張。
  → 統一失敗。 自由主義運動は後退しc ユンカー 階級による上からの統一運動に替わる。
 ビスマルク  の登場 
・1861年 プロイセン王a ヴィルヘルム1世 が首相に任命
  =b 鉄血政策 :c “言論や多数決でなく、鉄と血によってのみ解決される” と演説。
・1864年 d デンマーク戦争 :e シュレスヴィヒ・ホルシュタイン 公国のドイツ系
   住民のデンマークからの自治要求を口実に、オーストリアを誘い、デンマークと戦う。
 → 圧勝し、シュレスヴィヒをプロイセン、ホルスタインをオーストリア行政下に置く。
・1866年 f プロイセン=オーストリア戦争  eの帰属問題から開戦。7週間で圧勝。

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 → 1867年 ドイツ連邦を解体、プロイセンを盟主とするg 北ドイツ連邦 を結成。
 → 南ドイツ諸邦も同調しドイツ統一完成に近づく。h オーストリア ※は排除される。
 → フランスを仮想敵国として軍備拡充を進める。
※h オーストリア の変化 fでの敗北の結果、
 → 1867年 「妥協(i アウスグライヒ )」成立。
  = ハンガリーの独立を認め、同君連合のj オーストリア=ハンガリー帝国 (二重帝国)となる。
    皇帝k フランツ=ヨーゼフ1世 (在位1848~1914) → 多民族国家としての民族問題は続く。
 普仏戦争 
・1870年7月 a ナポレオン3世 を挑発して開戦。(前出)
  → 9月 b セダンの戦い でa ナポレオン3世 を捕虜とする。さらにパリを包囲。 
  → フランス軍に勝利し、c アルザス・ロレーヌ の両州と賠償金を獲得。
・地図 1871年 統一されたドイツ帝国の領域
ドイツ帝国の統一
a  セダン(スダン) 
b  アルザス(エルザス) 
c  ロレーヌ(ロートリンゲン) 
d  シュレスヴィヒ 
e  ホルシュタイン 
f  シュレジェン 
g  プロイセン 

点線は現在のドイツ共和国の国境線。
1815~66年のドイツ連邦に加わっていたオーストリア、ベーメンなどは除外され、プロイセン領の東プロイセンが加えられた。
現在のドイツに比べ、著しく東方、つまり現在のポーランドに食い込んでいたことを注意しておこう。


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キ.ドイツ帝国の成立とビスマルク外交 用語リストへ
 ドイツ帝国 成立 
・a 1871 年1月 b ヴィルヘルム1世 、フランスのc ヴェルサイユ宮殿 で即位式を挙行。
 → ・図と解説
・d ドイツ帝国憲法 の制定。その内容。
  プロイセン王がe ドイツ皇帝(カイザー) を兼ねる立憲君主制。
  22の君主国と3自由市からなるf 連邦制 をとる。
  宰相(首相)は皇帝が任命し、皇帝に対してのみ責任を負う。(議院内閣制ではない)
  議会は▲g 連邦参議院 ※とh 帝国議会 ※※の二院制。
    ※連邦を構成する君主国と市の代表で構成。法律批准権など強い権限を持つ。
    ※※25歳以上の男子普通選挙。予算審議権は認められるが招集権は皇帝が持つ。
・ドイツ帝国の特徴 形式は立憲君主制だが、皇帝の権限が強大であり、議会は極めて弱体だった。
・帝国の基盤 i ユンカー 階級が官僚・軍隊の要職を占め、帝国を支えた。
 ビスマルク時代  1871~90 宰相として20年、独裁的な権力をふるう。
・a 文化闘争  中央集権強化に反対する南西ドイツのb カトリック勢力 を弾圧。
・c 社会主義運動 の活発化 工業発展とともに労働者階級が増大。専制政治への批判強める。
 1860年代 d ラサール らが社会主義、e ベーベル らがマルクス主義を組織。
 1875年 f ドイツ社会主義労働者党 ※を結成、ゴータ綱領を採択し合同、。
    ※後の1890年にg ドイツ社会民主党 に改称。

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ビスマルク

 ビスマルク  

・ビスマルクのh 社会政策  = i アメとムチ と言われる。
 1878年 j 社会主義者鎮圧法 を制定。社会主義政党を非合法として弾圧。
  一方で、k 社会保険制度 を充実させる:災害保険・疾病保険・養老保険などを実施。
・1879年 l 保護関税法 :ユンカーの農場経営とドイツ重工業を保護するため制定。
  → m 「鉄(産業資本家)と穀物(ユンカー)の同盟」 と言われた。
 ビスマルク外交   フランスの再起を恐れ、その孤立化を維持する。
・1873年 a 三帝同盟 を結成:ビスマルクの主唱による、フランスを抑えるための軍事同盟。
  =b ドイツ (ヴィルヘルム1世)・c オーストリア (フランツ=ヨーゼフ1世)
   ・d ロシア (アレクサンドル2世)の三皇帝が署名。
  ・ロシアはe パン=スラブ主義 をとり、バルカンでオーストリアとの対立が深刻となる。
・1877年 f ロシア=トルコ戦争(露土戦争)  ロシアの圧倒的勝利となる。
  → g サン=ステファノ条約 ブルガリアを保護下におくなど、ロシアに有利であった。
  → h イギリス ・c オーストリア が反発。ビスマルク、調停に乗りだす。
 ベルリン会議   1878年 a バルカン問題 をめぐる墺(英)と露の対立を調整。
・b 「公正なる仲介人」 を自称する。
・c ベルリン条約 締結 → d サン=ステファノ条約 は廃棄。
 e ルーマニア 、f セルビア 、g モンテネグロ の独立の承認。
 h ブルガリア はオスマン帝国内の自治国とする。
 イギリスはオスマン帝国からi キプロス を獲得。 → 中東進出を狙う。
 オーストリアはj ボスニア・ヘルツェゴヴィナ の統治権を認められる。
 フランスのチュニス(オスマン帝国領)進出を認められる。
 → ロシアのバルカンでのk 南下政策 が抑えられ、中央アジア・東アジア方面に向かう。
 → 三帝同盟の崩壊。
・1879年 l 独墺同盟 の結成。三帝同盟にかわるビスマルク外交戦略。

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E.ビスマルク外交の展開
・1881年 三帝同盟を再建(新三帝同盟)。
 → フランスのチュニジア進出を警戒するa イタリア を抱き込みフランス包囲網を形成。
・1882年 b 三国同盟 の締結:c ドイツ ・d オーストリア ・a イタリア の秘密軍事同盟。
  → 第一次世界大戦に至る二大陣営を形成する(後にイタリアは離脱)。
 1887年 バルカンでのd オーストリア とe ロシア の対立激化 → 三帝同盟解体。
  同  年 c ドイツ ・e ロシア がf 再保障条約 を締結。これも秘密同盟であった。
  意味:g ドイツは三国同盟でオーストリアと同盟しながらそれと対立しているロシアとも同盟した。 
・フランスの孤立とドイツの安全のための列強と同盟関係をh ビスマルク体制 という。
1888年 ドイツ皇帝i ヴィルヘルム2世 即位。 1890年 ビスマルクを罷免。
  = ビスマルク時代終わる。(後出)
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ク.北ヨーロッパ諸国 用語リストへ
・a スウェーデン  
 18世紀初めの北方戦争でロシアに敗れ、バルト海の制海権をなくす。
  北ドイツの領土はプロイセンに、
  1809年 b フィンランド ※はロシアに奪われる。
 19世紀初め、憲法を制定、責任内閣制をしく。
  ※ロシア皇帝が大公を兼ねる自治国となる。
・c ノルウェー 
 もとデンマーク領。ウィーン会議でスウェーデン領となる。
 独立運動を続け、憲法を制定、1905年 国民投票で平和的に独立を達成。
・d デンマーク 
 1864年 プロイセンにe シュレスヴィヒ・ホルスタイン を奪われる。
   酪農を主とする国づくりを行う。
→ 北欧三国はいずれも立憲君主制を採り、議会政治が発達し、小国として安定する。
▲その他 南ヨーロッパ諸国
・f スペイン  1820年 立憲革命、列強の干渉で失敗。ラテンアメリカの植民地独立。
 1868年 再び革命起こり、ブルボン朝の国王亡命。73~74年、一時共和政となる。
・g ポルトガル  1822年 ブラジルが独立。植民地帝国が崩壊。アフリカ植民地は残る。
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ケ.国際的諸運動の進展 用語リストへ
・社会主義運動
 1864年 a 第1インターナショナル  ロンドンで結成された労働者の最初の国際的組織
   b マルクス が設立宣言と規約を起草。 →  国際労働運動 の始まり。
  → 内部でアナーキズムのプルードン派、c バクーニン らと対立。
  → 1871年 d パリ=コミューン を支援、各国官憲から弾圧強まる。
  → パリ=コミューン崩壊後、1876年に解散。
▲1886年5月1日 アメリカで メーデー が始まる。1日8時間労働を要求。
 1889年 e 第2インターナショナル  パリで結成 (第14章1節へ)
  → 5月1日を8時間労働実現の国際的示威行動の日と提唱、以後世界的に定着する。
・f 国際赤十字社 の創設
 g クリミア戦争 での ナイティンゲール (イギリスの看護婦)の活躍。
 1864年 h デュナン が発案してジュネーヴで 赤十字条約 を締結。
・近代オリンピックの創始
 1896年 第1回 i 国際オリンピック大会  アテネで開催。
   フランスの▲j クーベルタン の提唱。
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ア.東方問題とクリミア戦争
イ.ロシアの改革
ウ.イギリスのヴィクトリア時代
エ.フランス第二帝政と第三共和政
オ.イタリアの統一
カ.ドイツの統一
キ.ドイツ帝国の成立とビスマルク外交
ク.北ヨーロッパ諸国
ケ.国際的諸運動の進展

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界