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ピラミッド

エジプト古王国の前3千年紀の中頃に造られた、国王の権威を示す巨大な建造物。ギザのクフ王などの三大ピラミッドが有名。

エジプト古王国時代に造営

 エジプトでは統一王朝の登場の頃からマスタバという日干し煉瓦を台状に積み上げたの墳墓が現れ、古王国時代の第3王朝で階段状のピラミッドが現れる。第3王朝第2代のファラオ、ジュセル王(在位前2635~2615年ごろ)がサッカーラで造営した階段ピラミッドは日干し煉瓦でなく石材を積み上げ、東西125m、南北109m、高さ62mであった。これらの初期のピラミッドは王墓であり、地下に玄室(遺体を治めた石棺を安置する)が作られている。しかし、玄室を持たないものもあり、王の権威を示す象徴として作られたことも考えられる。第4王朝の初代スネフェル王(在位前2576~2553年)は一人で3つのピラミッドを作っており、その一つは方錐形でのちのピラミッドと同じものが作れた。

ギザの三大ピラミッド


ギザの三大ピラミッド (トリップアドバイザー提供)
 第4王朝のスネフェル王に続く、クフ王(在位前2553~前2530年ごろ)、カフラー王(在位前2521~2495年ごろ)、メンカフラー王(在位前2488~2470年ころ)の三人の王がギザに造営した「ピラミッド複合体」がもっとも有名な、そして典型的なピラミッドである。これらの完成型のピラミッドは、正方形の底面と二等辺三角形の側面で構成されている。最大のものはクフ王のもので、底辺の一辺が230メートル、高さが146.5メートル、勾配51°50′である。方錐形は太陽光線を具象化したもので、太陽神信仰と関係がある。また東側には三基の王妃のピラミッドと、南側にはおそらく太陽神の昼夜の航海に使用された「昼舟」と「夜舟」を納める二つの舟坑、さらに周辺には整然と配置された王族・貴族のマスタバ墓が並んでおり、当時の政治体制を示している。同時にピラミッドは単なる一人の王の墓ではなく、一種の神殿として作られたと考えられる。<『人類の起源と古代オリエント』世界の歴史1 1998 尾形禎亮執筆 p.394-406 中央公論社>

Episode ピラミッドは墓ではない?

 ピラミッドは古王国時代以降は造られなくなり、後に一般に王の墓であったと信じられるようになるが、実際には何のために造られたかは謎が多い。ピラミッド内からミイラが発見されたことはなく、実際に墳墓とされたとは言い切れない。単なる墳墓ではなく、周辺に墳墓や神殿をもつ、埋葬都市(ネクロポリス)の一部であった、とも考えられている。また、ピラミッドはヘロドトス以来、奴隷にたいする強制的な労働によって造られたと言われてきたが、最近ではエジプトでの奴隷の存在を否定し、ピラミッドは農閑期の農民を動員し、農民も神としてファラオを崇拝する上でその造営に参加したと解釈されている。<吉村作治『ピラミッドの謎』1979 p.29,38 講談社現代新書>