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ツタンカーメン王

ツタンカーメン王の黄金のマスク。
ツタンカーメン王の黄金のマスク。

エジプト新王国の王。王家の谷での王墓の発見で有名。

 エジプト新王国第18王朝のファラオ。アメンホテプ4世(イクナートン)の次ぎに、わずか9歳で即位し18歳で死ぬ。「王家の谷」から1922年に発見されたその王墓からは多数の黄金の副葬品が発見されたことで有名。
 ツタンカーメンはアメンホテプ4世の娘の夫であるが、4世自身の庶子であるらしい。即位したときは、ツタンカートン(「アトン神の生きた似姿」の意味)を名乗り、義父のアトン神信仰を受け継いでいたが、即位するとまもなく、摂政のアイや将軍ホルエムハブなど側近の意向によってか、名前をツタンカーメン(正しくはトゥトアンクアメン、「アメン神の生きた似姿」の意味)に変え、都をメンフィスに移し、アメン神信仰を復活させ、テーベのアメン神神殿の神官たちも復職させた。

Episode 世界を驚かせた発見と「ファラオの呪い」

 1922年11月、テーベの近くの「王家の谷」といわれるエジプト新王国のファラオたちの王墓が集中している一角で、全く未知の王墓が発見された。それは王墓の中でも小規模なものであったので、盗掘を免れていた唯一の王墓であった。出土したミイラの名札からそれがツタンカーメン王のものであることがわかった。その墓室からはほとんど埋葬時そのままの王のミイラ、それを覆う黄金のマスク、王の玉座、さまざまな装飾品、武器などが見つかり、世紀の大発見と言われた。発掘に成功したのは、ハワード=カーターというイギリス人であった。彼はカーナヴォン卿というスポンサーの出資によって16年前からエジプトで発掘に従事していたのだった。ところで、エジプトには、ファラオの墓を暴いた者は呪われるという言い伝えがあった。このツタンカーメン王の発掘でもスポンサーのカーナヴォン卿が翌年4月に急死したほか、関係者が数年の間に相次いで死んだので「ファラオの呪い」ではないか、と話題になった。カーター自身は1939年に病死した。<P.ファンデルベルク『ツタンカーメン』-考古学史上最大の発掘ドキュメント- 坂本明美訳 アリアドネ企画 1978>
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ノートの参照
1章1節 エ.エジプトの統一国家