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部派仏教

シャカ没後の約100年間に、その教えの継承をめぐって分裂した仏教教団の各派を総称して部派仏教という。

 前5世紀初め頃と思われる、ガウタマ=シッダールタ(ブッダ、シャカ)の死去(仏滅)の後、原始仏教教団は、師の説法(当時のマガダ語で語られていた)は弟子たちに口伝で継承されていった。原始教団ではブッダの教えや戒律を正しく伝えようとして、仏典結集をおこなったが、早い段階からその解釈において保守的な長老たち(上座部)と、革新的な一般僧(大衆=だいしゅ)とが対立する傾向にあった。マウリヤ朝のアショーカ王の保護を受けて仏教は全インドに広がったが、王は上座部の仏教に帰依しており、保守派と革新派の対立はその間も深刻になっていった。

部派仏教への分裂

 前250年頃、保守派の上座部と革新派の大衆部の分裂がはっきりするようになり、「根本分裂」といわれている。この後、紀元前後の頃までの約250年間に両派はさらにこまかい分裂を繰り返し、大衆部は一説部、説出世部などの八部に分裂し、上座部も説一切有部、雪山部など11部に分裂した。これらの多くの部派に分裂していた時期の仏教を部派仏教という。
 部派仏教の多彩な分裂は、教義上の見解の差異、指導者の対立、地理的な条件などによるもので、時期によって変動はあったが、主要な部派は18ないし19で、根本二派とあわせて二〇部とされている。部派仏教の教義は、修行者集団の特質を反映して、きわめて哲学的、思弁的である。それぞれの部派のよって強調点には差異があるが、部派仏教に共通する教説の基調は、ゴータマ・ブッダが説いた「有」(一切は存在する)という基本的立場を認めて、「相」(人間の心のさまざまな現れ)と「性」(人間の心の本質)を考察して体系化し、最も有効な修行論を展開することにあったといえる。<村上重良『世界宗教事典』2000 講談社学術文庫 p.85>

部派仏教への批判

 部派仏教の各教団は、国に保護されて広い土地をもち、多数の僧尼が僧院にこもって学問に専念するようになり、そのため仏教はしだいに現実から離れた貴族的な学問仏教の面が強くなっていった。紀元前1世紀ごろから、仏教の内部に、部派仏教のあり方を批判して、実践的な信仰を求める在家信者を主体とした信仰運動が起こった。それが紀元後の1世紀のクシャーナ朝時代には、大乗仏教といわれる新しい仏教の成立をもたらした。大乗仏教の側からは、旧来の部派仏教は総称して小乗仏教と言われたが、それは大乗が「大きな乗り物」の意味であるのに対して、「小さい乗り物」の意味の蔑称であったので、現在の仏教界では使用されないことになっている。現在では、大乗仏教以前の信仰を継承している仏教を、部派仏教の中の長老たちの最も保守的な教団に代表させて、上座部仏教と言うようになっている。
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ノートの参照
第2章1節 カ.クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝