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禅譲

中国の王朝交替の一形態。新王朝が前王朝から平和的に帝位を継承することを言う。

中国では王朝の交替を「革命」(天帝の命によって王の姓が易わるという意味の易姓革命の略)というが、それには禅譲と放伐の二つの形式があり、その一つの禅譲は前王朝から譲りを受けて、平和的に新王朝が成立する場合を言う。三皇五帝の尭から舜など、理想的な継承方式とされた。歴史時代においては、最初の例としては、後漢から曹丕が帝位を継承しに交替したのが最初とされる。その魏も、重臣であった司馬氏に実権を奪われ、司馬炎が禅譲を受けてを建国する。禅譲は五代の後周の柴氏が趙匡胤に禅譲して宋が建国されたのを最後として行われなくなる。
禅譲といってもほとんどは実力で帝位を奪ったもので、形式だけ前王朝の最後の皇帝に譲位をみとめさせたにすぎない。それにたいして実力で前王朝を倒して王朝交替を実現することは放伐という。

禅譲の終わり

 中国の歴史時代の王朝交替で禅譲の形式をとった最初は後漢から魏に交替したときであるが、その後魏晋南北朝時代にはたびたび見られた。その最後となったのは、五代の最後の後周から宋に交替したときである。後周の世宗(柴栄)は五代一の名君と称され、わずか6年の在位中に全国統一を目指して南北に転戦、しかし遼を攻める北伐の陣中で病に倒れ、実子の恭帝が7歳で即位した。大敵を前にして幼帝に不安を感じた将兵が兵変を起こし、人望のあつい将軍趙匡胤を推して帝位につけた。・・・この後周と宋の交替も禅譲の形式であるが、これを最後に、漢魏の際以来何度も繰り返された禅譲劇は史上から永久に姿を消した。<寺田隆信『物語中国史』1997 中公新書 p.160>
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第2章3節 ウ.殷と周
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寺田隆信『物語中国史』1997 中公新書