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晋/西晋

265年に魏の帝位の禅譲を受けた司馬炎が建国。一族の内紛から八王の乱が起き、急速に衰退、華北を五胡に奪われ、316年江南に逃れるまでを西晋とも言う。

 265年、司馬炎の皇帝の禅譲を受けて武帝となる。都は洛陽におかれた。280年、呉を滅ぼし、中国を統一した。武帝は、土地公有制の先駆となる占田法課田法を実施し、統一政策を進めた。また、魏の官吏登用法である九品中正制を継承してが、その結果地方豪族の家格が固定化し、中央の官僚として門閥貴族化が進んだ。

八王の乱

 武帝の死後、長子の恵帝が継いだが暗愚であったので、皇后の賈后とその一族が実権を握り、そのため武帝の兄弟や、武帝の子(恵帝の兄弟)の司馬氏一門に激しい内紛が生じた。この一族の争いは290~306年、八王の乱へと発展し、晋は急速に衰退、中国は再び分裂の時代に向かっていく。

五胡の南下と永嘉の乱

 この八王の乱の際、それぞれの勢力が、兵力として北方民族を導き容れて傭兵としため、次第に彼らが華北に進出する契機となった。北方民族は五胡と言われ、様々な系列を含んでいたが、華北の農耕地帯への進出をそれぞれねらっており、晋の統制が効かなくなるにつれて活動を活発にしていった。
 ついに311年、五胡の一つの南匈奴が晋の都洛陽に侵入、永嘉の乱となり、316年に晋は滅亡した。その後、一族の司馬睿が江南に逃れて晋を再建するがそれを東晋とし、それ以前を西晋と言って区別する。

西晋の社会と文化

 西晋の時代は魏の九品中正の制度が継承され、貴族社会の形成が進み、また文化史上では竹林の七賢など清談の流行や、仏教の布教などの重要な転換期であった。
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ノートの参照
3章2節 イ.分裂の時代