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租庸調制

隋唐の律令制下の均田制をもとにした租税制度。

律令の賦役令に定められている税制で、均田制の下で給田された丁男(唐では21歳~59歳の男性。後に25歳~54歳とされた。)に対して賦課される租税の総称である。殷周以来、さまざまな税目が存在したが、漢代の租、三国時代の魏以来の調などを整備したもので、労役の変わりに現物を納めるという庸は西魏に見られた。北魏時代には租と調が夫婦単位で課税され、他に奴婢、耕牛にも賦課された。隋で租庸調に整備され、煬帝の時には婦人への課税は廃止された。

唐の租庸調とその他の負担

 唐の時代にそれぞれ、調の内容、および雑徭が律令の規定として確定した。
 そ。租庸調制における税目の一つで、口分田を班給される丁男(成年男子)に対して、粟(アワ。ただし穀物を意味する。)2石(1石は約60kg)。日本の律令制の班田収授法では男子に2束2把。女子にその3分の2。
 よう。租庸調制における税目の一つで、口分田を班給される丁男(成年男子)に対して、年に20日間の中央政府での労役(これを正役という)の代わりに、1日あたり絹3尺と布(麻布)3.75尺で換算した代償を納める。
調  ちょう。租庸調制における税目の一つで、口分田を班給される丁男(成年男子)に対して、絹2丈綿(まわた)3両、または布2.5丈、麻3斤。1丈は10尺、幅56cm、長さ約3m。1斤=16両=約688g。日本の律令制の班田収授法ではその地の特産物とされた。
その他の労役 租庸調のうち、租と調は生産物(現物)で納付する「現物納(現物地代)」であったが、雑徭などの労役(無償の労働提供)で負担する税もあった。それらを役(えき。徭役とも言う)といい、正役(通常は庸で代納する)と雑徭があった。特に雑徭は農民にとって大きな負担となっていた。府兵制のもとでの兵役もあった。これらはいわば国家に対する「労働地代」にあたるものであり、このような現物納と労役の二本立ての税制であった点が、近代以降と大きく異なる点である。

租庸調制と農民

 租庸調は均質な均田農民の家族労働に基盤を置き、その生産物を国家が直接収奪するという仕組みであり、そのために土地台帳である戸籍と、租税台帳である計帳が作成された。従って農民を戸籍と計帳に登録して掌握することで成り立ので、偽籍(戸籍を偽ること)や浮浪・逃亡(戸籍を離れること)は許されなかった。しかし、8世紀後半になると農民の中には重い負担を嫌って浮浪・逃亡するものも現れ、次第に戸籍と計帳が実態に合わなくなってきた。このような均田制の崩壊に伴って租庸調制も実態を失い、780年には両税法に変更される。
均田制を模した班田収授法を採用した日本でも内容を多少変えた租庸調制が実施された。
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第3章2節 イ.唐の制度と文化