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回回砲

フビライに仕えたイラン人が製造した投石機。1273年から元軍が南宋との戦いで使用し始めた。

 元のフビライ=ハンがイラン人に命じてイル=ハン国で使用されていた投石機を製造させた。南宋を攻撃した時に実践に利用され、襄陽の戦いで大きな効果を上げた。

Episode 西から来た新兵器と呂文煥の降伏

 フビライは南宋攻撃で新兵器を導入した。それは、イル=ハン国で改良・開発された巨大投石機で、ペルシア語で「マンジャニーク」、漢語では「回回砲」とおばれた。フラグの子のアバガからフビライに、イラン人技師とともに何台も贈られてきた。1273年の漢水作戦で初めて使用。カタパルトからは発射された巨弾は川を越えて700~800m飛び、城楼や兵舎を撃破し、襄陽の守備兵と市民をなぎ倒した。襄陽の守将呂文煥は全軍・全市民の助命を条件についに開城した。元軍は約束どおり、誰一人殺さず、おまけに呂以下にフビライ直属の親衛軍の役割を与えた。感激した呂は、文官官僚が威張り、腐敗している南宋を見限り、フビライの臣下となることを誓い、その後の南宋攻撃に大いに活躍したという。同じように、元軍に進んで降伏する南宋の将兵が多かったという。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 講談社現代新書 下 p.92-98>
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第6章3節 イ.元の東アジア支配
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杉山正明『モンゴル帝国の興亡』上 講談社現代新書