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イル=ハン国/フラグ=ウルス

フラグの西アジア遠征によって、1260年に成立したイラン高原のモンゴル系国家。13世紀末にガザン=ハンの時イスラーム化し、高度なイラン=イスラーム文化を開花させた。14世紀にはモンゴル人の王統が途絶え、イラン系地方政権が各地に生まれ、16世紀にはティムール帝国に吸収された。

 モンゴルのフラグ西アジア遠征によってイランを中心とした西アジアに建国した、モンゴル帝国のハン国の一つ。 都はタブリーズ(イラン西部)。なお、イルとは、トルコ語で人間集団もしくは国を意味するのでイル=ハンとは「部衆の王」ないしは「国王」の意味となる。これはこの国の俗称であり、正しくはフラグの建てたウルスなのでフラグ=ウルスとすべきである。

イル=ハン国の成立年

 その成立年は、一般に1258年とされるが、それはモンゴル軍がバクダードを占領してアッバース朝を滅ぼした年である。しかし、この段階では本国のモンケ=ハンは健在であるのでフラグが独立国を作ることはなかった。そのモンケ=ハンが急死し、1260年にフビライとアルクブケがともにハン位についた知らせを受け、フラグがカラコルム帰還をあきらめて西アジアにウルス(国家)を建設することを決意したことをもって始まりとするのが正しい。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』上 講談社現代新書 p.184>

イル=ハン国の興亡

 フラグの次はその子アバガが第2代ハンとなり、1270年にチャガタイ=ハン国のバラクがホラーサーン地方に侵攻したのを撃退して、ウルスとしての地位を確固たるものにした。その後、現在のイランを中心に、イラク、シリアを支配し、エジプトを本拠とするマムルーク朝と対立した。1278年には小アジアのルーム=セルジューク朝を属国とした。また北方のキプチャク=ハン国とはアゼルバイジャンの豊かな平原やコーカサス地方の領有をめぐって対立した。そのような国際情勢のもとで、アルグン=ハンはラッバン=ソウマというネストリウス派キリスト教徒を、ビザンツ帝国、フランス、イギリス、ローマ教皇のもとに派遣している。その後もイル=ハン国のハンはたびたびローマ教皇やフランス王に使節を送っている。

イスラーム化

 イル=ハン国はモンゴル人の支配する地域に、主としてイラン人が居住し、イラン人にとっては異民族支配を受けることとなったが、イラン人は高い文化的伝統を持っていたので、文化的には次第にイラン化が進み、第7代のガザン=ハンの時、1295年、イスラーム教(スンナ派)に改宗した。ガザン=ハンはイラン人宰相ラシード=アッディーンを登用し、イラン化を進め、イラン=イスラーム文化を開花させることとなった。ガザン=ハンが自らのルーツであるモンゴル帝国の成立の歴史と、イル=ハン国を取り囲む世界の歴史を記述させたのが、ラシード=アッディーンが編纂した『集史』である。

イル=ハン国の滅亡

 1335年、第9代のアブー=サイードが宮廷内で皇后に殺害されるという事件が起き、フラグの血統が途絶えた。構内の有力集団はそれぞれ継承権を主張して争い、1353年にはトルコ=モンゴル系やイラン系の地方政権が各地に割拠抗争するようになって事実上国家としての統合は失われた。15世紀にはティムール朝に吸収されるが、イスラーム化したモンゴル人の一部はイラン高原やアフガニスタンの草原地帯で遊牧生活を続け、現在もアフガニスタンではハザラ人と言われ少数派を形成している。
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第6章3節 ア.モンゴルの大帝国