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日元貿易

元は遠征に失敗後も日本に来貢を促し、13世紀末からは日元間に盛んな禅僧の往来と共に貿易も再開され、日本に多くの“唐物”が流入した。

 日本と元の関係は、世祖フビライの時代には2度にわたる元寇(蒙古襲来)があり、緊張関係にあったが、元側の意図は日本に対して朝貢という形での貿易関係を求めるところにあった。武力によってそれを強制することには失敗したが、その後も朝貢を求める使節を派遣している。また日本側も鎌倉幕府、朝廷共に貿易による利益は無視できなかった。また鎌倉を中心にしてはじまっていた中国の禅宗文化の受容はますます高まっていた。そのような情勢から、元寇後の13世紀末には関係は修復され、盛んな日元貿易が復活した。その主体は、幕府や朝廷が、寺社の造営費用を得るために派遣する形をとることが多かったが、民間の商人による交易も同じように行われていたと考えられる。
 交易品は、日宋貿易と基本的には変わらず、元からの輸入品は銅銭・香料・薬品・陶磁器・織物・絵画・書籍などであり、日本からの輸出品は、金・銀・硫黄・水銀・真珠・工芸品(刀剣・漆器)などであった。
 また、元寇以前にも増して中国から禅僧が渡来し、禅宗寺院において禅宗の外に漢文学の素養を植え付け、室町時代の五山文学の隆盛のもととなった。また多くの日本僧も元代の中国に渡っている。 → 鎌倉仏教

Episode スパイと間違われた禅僧

 元では第3回の日本遠征も計画されたが、1294年に世祖フビライが死去したことによって武力侵攻の方針は転換され、次の成宗は通商交渉に切り替え、1299(正安元)年に禅僧一山一寧に国書を託して日本に派遣し、来貢を求めた。一山一寧は鎌倉に至ったが、幕府はその真意を疑って受理せず、スパイであるとして拘束したが、禅僧であるため殺害することができなかったため伊豆修善寺に流した。一山一寧は任務は果たせなかったが禅僧として尊敬され、やがて建長寺・円覚寺に招かれ、日本の禅文化に大きな影響を与えた。今も建長寺の総門に懸かる「巨福山」の山号は一山一寧の書である。元寇後は、日本の僧侶で元にわたる者も多かった。

新安沖の沈没船

 1976(昭和51)年、韓国の新安(シナン)沖で発見された沈没船は、日元貿易の一断面をよく物語っている。全長約28メートル、最大幅9.3メートルの、太い竜骨をもつ木造船で、積荷は陶磁器1万8千余点、銅銭800万個、紫檀材1千余本という厖大なものであった。陶磁器には竜泉窯の青磁や景徳鎮窯の白磁なども含まれているが、その中に元代末期以後に生産されたものはないこと、銭は唐代の乾元通宝から元代の至大通宝まで62種類におよぶが、それ以後のものはないこと、「至治三年(1323)六月一日」と書かれた木簡があることなどから、1323年に元の港を出て日本に向かった唐船、ということがあきらかになった。注目されるのは「東福寺」の文字のある木簡が15点もあることで、積荷の紫檀などはその四年前に焼失した東福寺再建のために購入されたものと考えられる。・・・<五味文彦『鎌倉と京』講談社学術文庫  p.398 初刊1988>

盛んな寺社造営料唐船

 1325(正中2)年には、鎌倉の建長寺と勝長寿院(頼朝が父義朝の菩提のために建てた寺。現在は廃寺)の造営料を得るために「建長寺船」を派遣している。このような寺社造営料を名目とした貿易船の派遣は盛んに行われていた。民間商人による貿易船の派遣も行われており、建長寺船のような鎌倉幕府公認のもとで派遣されたものには1329(元徳元)年の関東大仏造営料船があり、朝廷が派遣したものには1332(元弘2)年の住吉神社船がある。室町幕府になると、1342年に足利直義が天竜寺船を派遣している。

Episode 兼好法師の唐物流行批判

 北条氏の一門金沢実時が六浦に建てた称名寺の造営費用を得るため、1306(徳治元)年に元に交易船を派遣している。称名寺の快誉が乗船し、大陸から唐物を将来している。金沢文庫(1275年ごろ設置)には中国の歴史・文学・仏教など幅広い書籍の外に、青磁の陶磁器など多くの唐物が伝えられており、称名寺境内にある金沢顕時(実時の子)の墓とされる五輪の塔の下からは、中国の竜泉窯産の青磁の壺が出土している。
 兼好法師は、『徒然草』120段で唐物の流行を皮肉り、次のように述べている。
 唐の物は、薬の外は無くとも事欠くまじ。書物は、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐土舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭く渡しもて来る、いと愚かなり。
 兼好法師は14世紀初頭に東国に下って来て、金沢に滞在したことのある。その地で見聞したことをもとに、鎌倉で「唐物」といわれる「無用の物」があふれかえっていると批判しているのだ。<五味文彦『中世社会のはじまり』2016 岩波新書  p.200>
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ノートの参照
6章3節 イ.元の東アジア支配
書籍案内

五味文彦
『中世社会のはじまり』
シリーズ日本中世史①
2016 岩波新書