印刷 | 通常画面に戻る |

ノルマンディー公ウィリアム

北フランスノルマンディーのノルマン人。1066年にイングランドを征服し、ノルマン朝を開いた。

 1066年、イングランド王国のエドワード証聖王(懺悔王)が後継者を指定せずに死去したため、有力者間で王位継承の争いが起こった。アングロ=サクソン人の有力貴族ゴドウィン家のハロルドがハロルド2世と称して即位したが、ノルマンディー公のウィリアム(フランス語表記ではギョーム)が、エドワードの従兄弟(エドワードの母エマの甥)に当たることから王位継承を主張、イングランドに侵入した。

ノルマン=コンクェスト

 ウィリアムは封建家臣団と傭兵部隊を動員して、ヘースティングスの戦いでハロルドの軍を破り、1066年のクリスマスに、ウェストミンスター教会で戴冠式を挙げノルマン朝ウィリアム1世となった。このことを「ノルマン=コンクェスト」(ノルマン征服)という。→イギリス(1)
 こうして出来上がった体制は、ウィリアムがノルマンディー公としてはフランス王の家臣であるが、同時にイギリスの国王であるという関係であり、彼の支配する領地は英仏海峡をはさんでイギリスとフランスの双方に広がっていた。また彼は日常会話はフランス後を用い、宮廷での公用語もフランス語であった。このような、中世を通じてのフランスとイギリスの複雑な関係が始まるので、注意を要する。

イギリス封建制の確立

 ノルマン朝ウィリアム1世(在位1066~87年)として、彼は抵抗するアングロ=サクソン貴族の土地を取り上げ、ノルマン人で手柄を立てた者に与えた。また、征服地の全土に徴税の目的で土地調査(検地)を実施し、ドゥムズディ=ブック(Domesday Book)という土地台帳をつくった(1086年)。これは現存しており、イギリス中世の社会を研究する上の重要な史料となっている。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
5章1節 キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱