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トマス=ベケット

イギリスのカンタベリー大司教。1170年、国王ヘンリ2世と聖職者裁判権をめぐって対立して暗殺される。

 トマス=ベケットは、もとは俗人でイギリス(2)プランタジネット朝初代国王ヘンリ2世に仕え、国璽尚書を務め腕力も強く権勢を振るっていた人物であった。ヘンリ2世は聖職者の反対を押し切ってカンタベリー大司教職を彼に与えた。ところが大司教になるとベケットは一転して熱心な聖職者となり、聖職者の叙任権は教会が持つべきであると考えるようになり、さらに宗教裁判所の所轄をめぐっても両者は対立するようになった。国王が宗教裁判所の管轄を教会から国家に移し、聖職者の権限を制限するクラレンドン法を制定するとベケットはイギリスを去り、亡命先のフランスで国王を破門にすると宣言した。破門を恐れたヘンリ2世は一旦ベケットと和睦し、ベケットも王国の慣習を尊重することを認めて妥協が図られ、ベケットもカンタベリーに戻った。ところが、ヘンリ2世のもとにローマ教皇から書簡が届き、ベケットに反対した聖職者を罷免せよと言ってきた。ウィリアム1世の時に、イギリス王の臣下は直接ローマ教皇と連絡してはならないという規則があったのでヘンリ2世は激怒した。以下、アンドレ=モロワの説明による。

Episode 大聖堂での殺人事件

(引用)王は北仏リジューの近くでクリスマスを祝っていた時、この報知を聞いた。彼は非常に激怒してこう叫んだ、『余の家来たちは揃いも揃って卑怯者で腑抜けじゃ。彼等は主君に対する誓約を守らず、素性卑しき一介の僧侶が余を笑い草にするのを傍観しておるわい』と。これを聞くと、四人の騎士は物も言わずに出発した。そして、船を見つけて英仏海峡を渡り、カンタベリーに着くや否や、『司教たちを赦免せよ』と言って、大司教を脅迫した。ベケットは僧侶の身ながら武人であったから、勇気と軽蔑とを以てこれに答えた。一瞬の後ベケットの脳漿は、彼等の剣を受けて迸り、祭壇のきざはしを汚していた。<アンドレ=モロワ『英国史』上 水野成夫・小林正訳 新潮文庫 p.132>
 ヘンリ2世はこの犯罪を聞いて大いに落胆し、5週間も閉じこもってしまった。彼が恐れたとおり、人びとは国王を非難し、ベケットを聖人として崇めるようになった。ローマ教皇もカンタベリー巡礼を盛んに奨励した。ヘンリ2世はクラレンドン法を撤回し、没収した教会領を返還するなどローマ教皇の怒りをなだめようとした。また後継をめぐって争っていた息子たち、長子のヘンリと次男のリチャードが父親に反旗を翻した。プランタジネット朝は大きな危機となったが、ヘンリ2世は急ぎ大陸からイギリスに渡り、その足でカンタベリーのベケットの墓に詣で、祈りを捧げた後、衣服を脱いで70人の修道士に命じて鞭を自らにあてさせた。その上で息子たちとの戦いに勝って反乱を収め、貴族たちを屈服させ、聖職者の裁判での宗教裁判所の権限を認めて教会と和解し事態を収拾した。