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カレー

フランス北部のドーヴァー海峡に面した要地。百年戦争で1347年にイギリスに占領され、1558年まで続く。

 カレーはフランス北部の重要な港であったが、百年戦争の際、1346年にイギリスのエドワード3世軍によって、11ヶ月の包囲戦の末、翌1347年に占領された。その後、カレーは大陸におけるイギリスの拠点として重要な都市となり、1363年にはイギリスの輸出要の羊毛の指定市場がそれまでのブリュージュ(現在のブルッヘ)からカレーに移され、その地の羊毛指定市場商人組合(ステープル商人)がイギリス産羊毛のフランドル毛織物業地域への輸出の独占が認められた。彼らは特権を認められる代償に関税をイギリス国王に納めたので、カレーの商人はイギリス王室財政を支える存在となった。
『カレーの市民』
東京 国立西洋美術館のロダン作「カレーの市民」
 現在、カレー市の市庁舎の前に、著名な彫刻家ロダンの作品「カレーの市民」がおかれている。これは、1347年、エドワード3世がカレーを攻撃した時、降伏の交渉に当たった6名の市民代表を捕らえて殺そうとしたのを、懐妊中だった王の妃が懇願して許された出来事を題材とし、勇気ある6名の市民を群像として表現したものである。この「カレーの市民」は百年戦争の前半を飾る逸話としてたいへん有名である。
 このロダンの作品は、カレー市の依頼を受けて、1888年に完成した。市民を戦火から守ろうと、自らイギリス軍の捕虜となった市長など6名の市民の話に感動したロダンだったが、彼の作ったのは英雄的にそそり立つ像ではなく、苦悩に打ちひしがれた群像だった。ロダンに委嘱した市当局は当初はこの作品を認めず、除幕式が行われたのは完成から8年もたってからだったという。ロダンは作品を一般的な彫像のように台座に乗せるのではなく、見る人と同じ高さにおくことと指定している。ブロンズ像なので幾つかのバリエーションがあり、東京上野の西洋美術館にあるのはその一つ。<国立西洋美術館ホームページ>

フランスのカレー奪還

 百年戦争後も、カレーだけはイギリス軍の占拠が続いたが、15世紀末に始まったフランス(ヴァロワ朝)と神聖ローマ皇帝(ハプスブルク家)のイタリア戦争の最終局面で、スペイン・ハプスブルク朝のフェリペ2世がイギリスのメアリ1世に出兵を要請、それに応えたイギリス軍がフランスに侵攻したが、かえってギーズ公の率いるフランス軍に敗れ、1558年にカレーを放棄した。これによって1346年以来、百年以上イギリス領となっていたカレーをフランスが奪回した。
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