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陶山書院

朝鮮王朝、儒者である李退渓が設けた儒学の教育機関。王朝の保護を受け、公的な権力も行使した。

 朝鮮王朝(李朝)時代の代表的な儒者であった李退渓が、1559年に退官してから故郷の慶尚北道安東郡陶山に設けた私立の儒学教育施設であったが、李退渓の名声が上がり、朝鮮における朱子学の研究と教育の中心的な機関となった。李退渓の権威が高まるにつれ、陶山書院は国家の保護を受けて公的な性格を持つようになり、両班による民衆に対する教化の象徴とされるようになった。

陶山書院の実態

 陶山書院は巨儒・李退渓を祀った書院であり、両班のメッカのようなところである。李退渓の子孫の宗家には、今でもさまざまな刑具が残っている。それらは中央政府から下賜された公認の刑具で、これが下賜されたということは、司法権をも委ねられていたことを意味する。彼ら両班たちは、常民や賎民たちをいつでも自由にしょっ引いては拷問にかけることができたのだった。つまり、両班は常民、賎民らに対する生殺与奪の権まで握っていた。書院は同族の両班たちの拠り所でもあった。李退渓と並び称され、退渓の「理」の重視に対して、「気」を主とすることを説いたことで知られる李栗谷(李珥)は、紹賢書院を作って対抗した。

Episode 「陶山書院は盗産書院だ」

 1920年代、社会主義思想の影響によって植民地時代の朝鮮でも、両班と常民の差別を廃止する運動が起こった。その運動のひとつであった衡平社を率いた指導者で闘士の金南珠は、あるとき陶山書院に押しかけて李家の当主に向かってツバを吐きかけ、「陶山書院は盗産書院だ!」とアジ演説をしたという。朝鮮語では陶山(トサン)と盗産(トサン)が同音なのでカケたのだ。<尹学準『オンドル夜話―現代両班考』1985 中公新書 p.174>
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7章2節 ウ.清朝と東アジア