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共和政(イギリス)/コモンウェルス

1649年、ピューリタン革命によってイギリスは王政が倒されて成立した共和政をいう。現在では、イギリスと旧イギリス領諸国の英連邦会議もコモンウェルスといわれている。

 イギリスのピューリタン革命によって、1649年2月6日と7日の下院決議で君主制と上院(貴族院)を廃止することを決定した。3月17日には、君主制廃止の条令が成立した。そこでは「国王という職は、‥‥不必要であり負担の多いものであり、国民の自由と安全と公けの利益に有害であって、国王の権力と特権は大ていの場合臣民を抑圧し、しいたげ、隷属せしめるのに利用された」と述べている。
「イングランドおよびそれに附属するすべての領土、地域の国民は、ここに共和国、自由国家となり‥‥、今後、共和国、自由国家として、この国の最高の権威である議会における国民の代表と、国民の福祉のために議会のもとに任命される行政者および官職者によって、国王や上院なしに、統治されるであろう。」これによってイギリスは一院制の共和国となった。 <浜林正夫『イギリス市民革命史』P.193>
 王政が倒されて共和政となったが、そこで権力を握ったクロムウェルは、次第に独裁的な政治を行うようになり、1653年には護国卿の地位について軍事独裁体制を作りあげ、実質的には共和政は棚上げにされてしまった。そのため、反発が強まり、クロムウェルの死(58年)の後、ほどなくして1660年に王政復古となってしまう。 → イギリス革命

コモンウェルス

 現在も王室が存在するイギリスであるが、その長い歴史の中で、わずかほぼ10年間出はあったが、国王のいない共和政の時期があったことは抑えておこう。イギリスでは、このピューリタン革命によって成立した1649~1660年の共和政のイギリスをコモンウェルスといっている。Commonwealth  とは、本来は「公共の福祉」という意味であるが、イギリスのピューリタン革命で成立した共和政国家のことを特にさしている。イギリス王室は現在も存続しているが、日本で感じるよりも王室の存在を問題視され、その廃止論が時々具体的に議論されることがある。日本での天皇制の存続を議論にすることが何となくタブーになっているのとはかなり違うが、それもイギリスがコモンウェルスを歴史的に体験しているためであろうか。

不徹底な革命

 1649年、ピューリタン革命でイギリスは共和政を実現した。たしかに国王と上院(貴族院)は廃止されたが、市民の平等な政治参加と、社会的な平等は実現したのだろうか。革命後の国家と社会のあり方の基本路線は、1647年の水平派の要求である「人民協約」は、49年の国王処刑直前にその修正されて成立したが、その内容は後退させられていた。
 まず議会の選挙権は「21歳以上の男子で選挙区内に住む世帯主」とされ、施しを受けるものや奉公人、給金を受ける人は除外された。また「土地の平等化や財産の破壊あるいは共有」は否定された。これらはリルバーンらの水平派の主張を全面的に拒否したものであった。クロムウェルは革命をすすめる過程では水平派の協力を要求していたが、政権を握ると彼らを弾圧し、水平派のリルバーンやさらに徹底した土地改革を要求したディガーズの運動を弾圧した。ここにピューリタン革命の本質と限界が現れている。

現在のコモンウェルス

 第二次世界大戦後にはイギリス連邦のことをコモンウェルスというようになっている。もとは、1931年に成立した the British Commonwealth of Nations 、日本では「イギリス連邦」と訳されていた、イギリスと旧イギリス領諸国の連合体のことである。これは連邦といっても連邦政府があるわけではなく、一種の国家ブロック、国際会議機構の一つに過ぎない。「公共の福祉」という本来の意味からは程遠い国際機関である。
 なお、オーストラリアは正式な国号を Commonwealth of Australia といい、その日本語訳はオーストラリア連邦とされている。アメリカ合衆国の州の中で、マサチューセッツ、ペンシルヴェニア、ヴァージニア、ケンタッキーの4州は、その州名にコモンウェルスと称している。
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ノートの参照
9章1節 イ.イギリス革命