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ジェンキンズの耳戦争

1739~48年、西インド諸島におけるイギリスとスペインの植民地獲得をめぐる戦争。ヨーロッパにおけるオーストリア継承戦争と連動していた。

 「ジェンキンズの耳」とは、イギリスの貿易船の船長ジェンキンズが、西インド諸島のスペイン領で、スペイン官憲によって不当に勾留され、耳を切られたとして、その実物の耳を示してイギリス下院に訴えたことをいう。その訴えを受けたウォルポール首相は、議会に押されてスペインに宣戦布告した。こうして1739年にイギリスとスペイン間で始まったのがジェンキンズの耳戦争である。両国は、翌1740年にヨーロッパ本土で始まったオーストリア継承戦争でも交戦関係となった。また、イギリスはアメリカ新大陸でのジョージ王戦争、インドにおけるカーナティック戦争と同時に展開された。つまり、ヨーロッパの戦争と新大陸植民地での戦争が連動していたと言える。
 イギリスとスペインが戦った背景には、スペイン継承戦争の講和条約であるユトレヒト条約アシエント(奴隷供給契約)と毎年1隻の商船をスペイン領アメリカに派遣する権利を認められたイギリスが、それに乗じてスペイン領西インド諸島などで盛んに密貿易を行ったことにある。それに対してスペインが警備を強化し、ジェンキンズの船を密貿易の疑いで拿捕したのだった。
 イギリスは、キューバを攻撃したが占領に失敗した。またチェロキー族やクリーク族などのインディアンを味方に引き入れ、ジョージアとフロリダを舞台にスペインと戦ったが、決定的勝利には至らなかった。戦争状態はそのまま1748年のオーストリア継承戦争終結まで続いた。

Episode ジェンキンズの耳

(引用)1738年3月17日、イギリス議会下院に、ロバート・ジェンキンスという名の船長が出頭し、ブランデー漬けにしたじぶんの片耳を議員たちに示して、これはキューバ沖で、エスパニャの沿岸警備船につかまったとき切りおとされたものだ、と説明して、エスパニャ人の残虐を訴えた。‥‥しかしジェンキンズが片耳を切られたのは、七年もむかしの1731年のはなしであった。彼はそのことをひとことも言わなかった。議員たちは激昂し、「アメリカ水域のいかなる地方にでも船を進めるのは、イギリス臣民の疑うべからざる権利である」という決議を通した。これが国民の喝采を博し、翌年ウォルポールは意に反して、エスパニャとの交戦を決意した。これがいわゆる”ジェンキンズの耳戦争”である。<増田義郎『略奪の海カリブ』p.183-184>
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