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国立作業場

1848年の二月革命後、第二共和政政府の失業者救済事業として設けられた施設。ブルジョワ共和派がその閉鎖を決定したことから労働者の六月蜂起となった。

 1848年の二月革命で七月王政を倒して成立した第二共和政の臨時政府に加わった社会主義者ルイ=ブランが中心となって設置した施設。臨時政府はまずすべての市民の労働権と生活権を保障する布告を出し、ついで2月28日、ルイ=ブランを総裁とする労働者対策委員会を設置、国立作業場(アトリエ=ナショナル)をつくることとした。この委員会は3月にはパリで6時間、地方で12時間の労働時間制を決定した。政府内部のブルジョワ共和派は、二月革命で金融貴族から権力を奪った上は早急に経済恐慌を克服し、生産を軌道に乗せる必要があると考え、ルイ=ブランらの社会改革に反発、「赤い妖怪」の排除を策した。そのため国立作業場は反ルイ=ブランの商務大臣マリの管轄に置かれ、単なる失業対策にすりかえらた。

国立作業場の閉鎖

 マリは国立作業場を失敗に終わらせるために、作業場には不急無要の土木工事しか与えないにもかかわらず、作業員には一日二フラン、仕事のない日でも1.5フランを支給し、支出を膨大なものにした。四月普通選挙が実施されると、選挙権は成年男性すべてに与えられたにもかかわらず、「赤い妖怪」におびえた都市の中産階級や農村の農民層が社会主義派から離れたため、ルイ=ブランを初めとする改革派が多数落選した。労働者支持派の後退をみたブルジョワ共和派は国立作業場の閉鎖を決定し、作業場に登録していた労働者に兵役か地方の土木作業のいずれかを選択させることを布告した。
 反発した労働者は、パリ市内各地にバリケードを設け六月蜂起に立ち上がったが、議会は共和派軍人カヴェニャックに全権を与え、戒厳令を布いた上でバリケード内の労働者に砲撃を加えて鎮圧した。
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ノートの参照
第12章1節 オ.1848年革命