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インテリゲンツィア

19世紀ロシアでの青年知識人層。

 19世紀のロシアで、ツァーリズムに対する批判が強まる中、貴族や豊かな階層の出身者の「知識人」で、西欧社会の進歩思想や、社会主義思想に共鳴し、ロシアの後進性を克服し、社会改革を行う必要を説く人々が現れた。1830年のゲルツェンやベリンスキーなどが先駆的な人物である。ツルゲーネフの『父と子』などの作品はインテリゲンツィアの苦悩を描いている。
 19世紀後半になると、彼らはツァーリ政府の弾圧を受けて政治活動の限界を感じるようになり、アナーキズムの影響も受けて、人民の中にはいって運動を進めるべきであるというナロードニキの主張を持つようになる。しかし、ミールというロシアの伝統的農村共同体は強固な保守思想を持ち、彼らを受容しなかったため、次第に行き詰まる。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などでよく知られるようになるドストエフスキーは一時その運動に加わり、流刑となっている。
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