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レセップス

フランスの外交官、実業家で、1869年にスエズ運河を完成させ、パナマ運河の計画もたてる。

19世紀のフランス外交官、実業家で、1869年にスエズ運河を完成させた。さらに1880年からパナマ運河開鑿の事業を開始したが、こちらは資金難に陥り、失敗した。
 フェルディナンド=レセップスはフランスの外交官で、エジプト在勤中に、スエズ地峡に運河を通し、地中海と紅海を結ぶことを考えた。そのアイディアはすでにナポレオンが持っていたが、当時の技術では不可能と考えられていた。当時エジプトはオスマン帝国から半独立したムハンマド=アリ朝のもとで、イギリスとフランスが影響力を及ぼそうと競争していた。1854年、ムハンマド=アリの末子サイードが副王(エジプトの実質的な国王)になったが、サイードはかつてレセップスがムハンマド=アリからその教育を任されたことがあったので、レセップスは好機到来と考え、サイードにスエズ運河開削の申請をし、許可された。イギリスの妨害があったり、エジプトの本国オスマン帝国は未承認だったが、レセップスは国際スエズ運河会社を設立して1859年から掘削を開始した。1869年11月17日、サイードにちなんでつけられたポートサイドで、盛大に開通式が開催された。レセップスはその後、パナマ運河の開削を計画したが、こちらは彼の時代には成功せず、後にアメリカ主導で完成した。 → パナマ事件

Episode レセップスの結婚

 1869年、スエズ運河の開通式を終えたレセップスは、21歳のルイズ=ブラガールとスエズ運河の側のイスマイリアの小さな教会で結婚式を挙げた。レセップスは64歳になっていた。「世間はこの結婚の知らせを聞いて、唸った。更にこの夫婦の間に、後年、男の子と女の子が半ダースずつ生まれたと聞いては、人はもう驚くことも止めてしまった。12人の子供が生まれたのである。・・・レセップスは、89歳まで生きて働く約束になっていたのだから、12人の子供が生まれても算術が間違ったのではなかった。」<大佛次郎『パナマ事件』1959 大佛次郎ノンフィクション全集9 朝日新聞社 p.89>
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ノートの参照
第12章2節 エ.第二帝政と第三共和政