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パナマ事件

19世紀末、フランス第三共和政下で起こったパナマ運河開発にからむ疑獄事件。

1892~93年、第三共和政のフランスで起きた、パナマ運河会社をめぐる汚職事件。スエズ運河で成功を収めたレセップスは、パナマ運河会社を設立して1880年に開鑿に着手したが、設計のミスや地形、熱帯雨林の気象に阻害されて工事が進まず、資金不足に陥った。会社は88年に富くじ付き社債の発行を政府に申請し、議会の採決を受けて募集に入ったが、結局買い手は集まらず、資金募集に失敗、破産が宣告されてしまった。そのため以前の出資者に大きな損害が生じ、会社は苦境に立つこととなった。1892年、運河会社から国会議員(その中にはクレマンソーも含まれていた)の多数に賄賂が送られていたことが暴露され、検察が疑獄事件として捜査に乗り出し、国会でも大問題となった。フランス政界を揺るがすスキャンダルになり、ブーランジェ将軍事件後も続いていた共和政反対の右派を勢いづかせることとなり、第三共和政の腐敗に対する国民の批判が高まった。会社と政治家の間を取り持った人物が不審死を遂げるなど、真相は結局明らかにならず、裁判の結果は政治家はほとんど無罪となり、贈賄側のレセップス親子は有罪となった。<文学作品であるが、大佛次郎『パナマ事件』に、レセップスのスエズ運河とパナマ運河建設、さらにパナマ事件の詳しく経過が描かれている。1959発表。現在は朝日新聞社刊の大佛次郎ノンフィクション全集9>

Episode パナマ運河事件の教訓

 パナマ事件は19世紀末のフランスで起こった贈収賄事件であるが、生まれて間もない議会政治にとって、大きな危機であった。それだけではなく、現代日本でも後を絶たない、疑獄事件と政治不信という連鎖を考える上で、まだまだ教訓となる事件である。またスエズ運河会社はいわば「国策会社」であり、政治家が介在する「公共事業」がいかに不正の温床になったか、という歴史の教訓でもある。以下、大佛次郎がこの事件を通じて現代の我々に語りかけている言葉を聞いてみよう。
(引用)パナマは単純なスキャンダルではない。共和制の基礎に動揺を与えた性質のものだった。数度の革命を重ねたフランスの共和政体が、まだ未熟で、弱体であったことは、まぎらしようもない。普通選挙制は、野心家の前に極めて短い出世の道を開いた。折角の人民主権が政界をレヴェルの低い野心家の闘技場とした。それと知らなかった世間は、ドライエの暴露を聴いて、ただ驚いたのである。百五十人の議員に、三百万フランの金が撒かれた。政策がそれで決定される。一つの法案、一つの国会演説、一つの投票に金が支払われているのだろうか? ・・・数ヶ月間、新聞は政治家の破廉恥な行為の摘発で、熱狂的に競争を続けた。大衆は暴露記事が大好きである。平素立派だと思われていた政界の名士や先生方が、庶民の自分たち以下の下賎なものに見えて来る痛快さがある。・・・パナマ事件は権威に対する尊敬を人心から失わせた。・・・(このような不信感は、個々の政治家にたいしてに止まらず、制度自身に向けられていく)・・・(議会)制度が人間を腐敗させたのです。・・・「議会政治そのものが処刑に値する」といった論調が生まれてきた。<大佛次郎『パナマ事件』1959 大佛次郎ノンフィクション全集9 朝日新聞社刊 p.347>
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ノートの参照
第14章1節 ウ.フランス
書籍案内
パナマ事件表紙
大佛次郎
『パナマ事件』
朝日新聞社 大佛次郎ノンフィクション文庫 9
初版 1959