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マネ

19世紀後半のフランスを代表するの画家。印象派の先駆者とされる。主な作品は『草上の食事』、『オランピア』、『マクシミリアンの処刑』など

 マネ Edouard Manet 1832~1883 は19世紀後半、ヨーロッパの美術史での近代絵画への転換をもたらした画家のひとり。一般的に印象派の一人とされるが、時期的には印象派よりも前の時代にあたっており、その先駆者とと言うことが正しい。
(引用)19世紀の絵画を近代絵画の方向に大きく推し進めた革新者であった。マネ以後、絵画の歴史は、それ以前とはっきり違った道を歩むようになる。クールベは市民社会に対する反逆者であり、革命的な思想家ではあったが、革命的な画家ではなかった。クールベの作品においては、伝統的な表現はそのまま受け継がれ、生き続けていた。しかし、マネの作品には、はっきりと伝統との断絶を示しているのである。・・・マネ以後、近代絵画が「オランピア」によって暗示された方向、すなわち、三次元的表現の否定と平面性の強調という方向に進むのは、よく知られている通りである。マネ自身、おそらく自分の作品の持っていた歴史的意義を十分に理解することができなかったに違いない。画家マネはそれほどまでに革新的であり、人間マネは逆にそれほどまで保守的であった。・・・<高階秀爾『名画を見る眼』岩波新書 p.187-188>

マネと印象派

マネ『草上の食事』
マネ 『草上の食事』 1863
マネ『オランピア』
マネ 『オランピア』 1865
 教科書ではマネは印象派のひとりとされているが、美術史の一般的な分け方ではマネは「印象派」には入らない。印象派は、モネルノワールらが共同展覧会を開いたときに批評家がそのグループに与えた名称であるが、マネはそのグループに属したことはなく、また自ら自分は印象派でない、と言っている。またその作風も、モネやルノワールのように全てを色彩に分解して、感性をそのまま筆致に乗せていくという印象派とは明らかに違っており、対象ははっきりと形を持っている。しかし、マネ以前のクールベや同時代のミレーのような写実性、立体的、遠近法的描写はくずれ、平面的で色彩が多彩であるという点でまったく新しい画風と言える。そこでマネは印象派の始祖のひとりに加えることも行われている。
作品 『草上の昼食』1863年、続いて 『オランピア』1865年を発表したが、いずれも大変なスキャンダラスな騒ぎを引き起こした。『草上の昼食』は木々の中で男女が昼食を拡げているが、男性は紳士然とした服装なのに、女性は裸体で横たわっている。生々しい女性の裸体が、日常性の中に現れたことに、当時の市民は驚き、批評家は憤激した。『オランピア』は、ベッドの上で悠然と横たわる裸婦を描いているが、新聞や批評はこぞって「卑しく、恥知らずな」作品に嘲弄と罵声を浴びせた。「お腹の黄色い娼婦」、「雌のゴリラ」とか、「湯上がりの後のスペードの女王」(クールベの評。トランプの絵のように平面的だ、という意味。)などと酷評され、ステッキでこの作品になぐりかかるものも少なくなかった。<高階秀爾『名画を見る眼』岩波新書 p.177-183>
 マネの作品は他に、『笛を吹く少年』1866、『マクシミリアンの処刑』1867(ナポレオン3世によってメキシコ皇帝にされ、現地の反乱軍に捕らえられて処刑されたマクシミリアンの悲劇を描いている)、『エミール=ゾラの肖像』1868(背景に日本の浮世絵が描かれている)、『バルコニー』1868、などがある。
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ノートの参照
第12章4節 ア.ロマン主義と自然主義
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高階秀爾
『名画を見る眼』
岩波新書