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ゾラ

フランスの作家で、1870年代に自然主義文学の旗手として活躍、1898年にはドレフュス事件で軍部を告発した。

マネの描いたゾラの肖像
マネの描いたゾラの肖像 1868
 エミール=ゾラ 1840~1902 は、19世紀のフランスで自然主義文学を提唱し、自ら多くの作品を発表した作家。当初はロマン主義に惹かれていたが、バルザックやフローベールの写実主義文学を知り、また19世紀の自然科学の発展、社会科学におけるコントの実証主義などの影響を受けて、文学も科学的、実証的に現実社会と向かいあうべきであると考えるようになった。ゾラは自らの文学理念を自然主義と称し、1867年に『テレーズ=ラカン』を発表して好評を博し、1870年代に『居酒屋』、『ナナ』、『獣人』などを立て続けに発表、社会の現状をみつめ、自然主義文学の隆盛をもたらした。

参考 マネの描いたゾラの肖像

 1868年、日本で明治維新があった年、マネが、エミール=ゾラの肖像を描いている。背景に、日本の浮世絵が描かれており、フランス絵画に日本文化の与えた影響の見られる絵として知られている。マネはすでに『草上の昼食』1863を発表し、スキャンダラスな登場をしていた新進の画家であった。マネはまだ印象派とは言われていないが、やがて印象派の元祖とされるようになる。その印象派は美術史ではクールベなどの写実主義を乗り越える動きとされているが、その元祖とされるマネが、文学上の写実主義の元祖ゾラの肖像を描いてることはおもしろい。

ドレフュス事件の弁護

 エミール=ゾラの名を一気に高めたのがドレフュス事件(1894年~1906年)であった。事件が起きるとゾラは強い関心を抱き、1898年にドレフュスを弁護する『余は弾劾する』という文を新聞「オーロール」に発表した。ユダヤ人に対する差別が根強い当時のフランスにおいて、敢然と言論のみで軍部に立ち向かうゾラは「時の人」として注目を浴びたが、軍部侮辱の罪で裁判にかけられ、有罪判決を受けることとなった。執行される前に、友人らの説得でパリを離れ、ロンドンに亡命し言論活動を続けた。
 しかし、1890年代は自然主義文学は退潮期を迎えていた。フランスではボードレール、イギリスではワイルドなどが現れ、芸術を現実に従属させるのではなく、本来の美の探求に向かうべきであるという耽美主義や象徴主義という新しい動きが高まっていたのだった。ゾラ自身も次第に文学的行き詰まりを感じていたところにドレフュス事件が起こり、文学者と言うよりヒューマニストとしてのゾラがそれに動かされたと言うことが出来る。

“余は弾劾す”

余は弾劾す
“余は弾劾す”の記事
 ドレフュス事件に際し、1898年1月13日に、エミール=ゾラが新聞「オーロール」紙上に発表した、ドレフュスを弁護し、軍法会議の不正を糾弾し、軍部・右翼の反ユダヤ主義を告発した文章。『余は弾劾す!』(J'accuse!)と題した文章は、オーロール誌の主筆、クレマンソーが掲載を決定し、ときの大統領フォールに宛てた手紙という形態をとり、細部にわたって軍部を告発している。大きな反響を呼んだが、軍部および右派の反発を受け、ゾラは軍部を侮辱したかどで告発され有罪とされた。<その全文は、大佛次郎『ドレフュス事件』1930 現在は大佛次郎ノンフィクション全集7に収録(朝日新聞社刊)に収録されている。p.69-87>
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ノートの参照
第14章1節 ウ.フランス
書籍案内
ドレフュス事件表紙
大佛次郎
『ドレフュス事件・詩人・地霊』
朝日新聞社 大佛次郎ノンフィクション文庫 7
初版 1930