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モロ戦争

16世紀から続く、フィリピン南部のイスラーム教徒による反スペイン闘争。

 16~19世紀末のフィリピンのスペイン支配時代に、スペイン入植者とミンダナオ島のイスラーム教徒との間に続いた戦争。東南アジアのイスラーム化はフィリピン諸島にも14世紀に及んできたと考えられる。特にフィリピン諸島の南部のミンダナオ島やスルー島に多かった。スペインの北部のルソン島などは土俗的な精霊宗教にとどまっていたので、容易にキリスト教化していったが、イスラーム教徒つまりモロは激しく抵抗し、時に武器を取って戦い、また海賊としてスペイン入植者を悩ませた。スペイン入植者とモロの戦いであるモロ戦争は、19世紀末のスペインの撤退まで続いた。また第2次世界大戦後の1970年代にはミンダナオのモロ民族解放戦線(MNLF)が結成され、フィリピンからの分離独立を掲げてマルコス政権と戦った。

モロの意味

 16世紀以来、フィリピンを支配したスペイン人は、フィリピン土着のイスラーム教徒をモロと言った。それは北アフリカからスペインに進出したイスラーム教徒ムーア人に対する蔑称だった。「ミンダナオのムスリムは、クリスチャンにたいする抵抗を示すために、あえてその蔑称を選び、みずから「モロ族」と自称するようになった。そのモロ族は、カトリックに教化したクリスチャン・フィリピノの中央政府に、今日でも容易に服従しようとはしない。」<鶴見良行『バナナと日本人』1982 岩波新書 p.18>

Episode ミンダナオの英雄 クダラート

:ミンダナオ島西部のコタバト付近のイスラーム教徒マギンダナオ族の指導者クダラートは1642年に君主(サルタン)を名乗り、王として権威を確立した。彼はマニラから南下してくるスペイン、バタヴィアから北上してくるオランダのいずれにも屈服しなかった。その年、台湾に進出したオランダを恐れたスペインがマニラに兵力を集中させる必要があったため、クダラートに和平を申し込んできた。1645年、クダラートはそれに応じてスペインと条約を結び、ミンダナオ南岸の大半の領土として認められた。それが「フィリピンの土地で初めて成立した国家らしい国家」だった。<鶴見良行『マングローブの沼地で』1984 朝日新聞社 p.62>
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ノートの参照
第13章2節 ウ.東南アジアの植民地化
書籍案内

鶴見良行
『バナナと日本人』
1982 岩波新書

鶴見良行
『マングローブの沼地で―東南アジア島嶼文化論への誘い』
1984 朝日選書