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モロ戦争

16世紀から続く、フィリピン南部のイスラーム教徒による反スペイン闘争。モロとはスペイン人がイスラーム教徒を指していった。スペイン(キリスト教徒)の支配に対してミンダナオ島、スールー諸島などのイスラーム教徒が根強く抵抗し、19世紀末のスペイン撤退まで戦闘が続いた。

 16~19世紀末のフィリピンのスペイン支配時代に、スペイン入植者とミンダナオ島を中心としたイスラーム教徒との間に続いた戦争。東南アジアのイスラーム化はフィリピン諸島にも14世紀に及んできたと考えられる。特にフィリピン諸島の南部のミンダナオ島やスルー諸島(スールー諸島)に多かった。スペインの北部のルソン島などは土俗的な精霊宗教にとどまっていたので、容易にキリスト教化していったが、イスラーム教徒つまりモロは激しく抵抗し、時に武器を取って戦い、また海賊としてスペイン入植者を悩ませた。スペイン入植者とモロの戦いであるモロ戦争は、19世紀末のスペインの撤退まで続いた。

モロの意味

 16世紀以来、フィリピンを支配したスペイン人は、フィリピン土着のイスラーム教徒をモロと言った。それは北アフリカからスペインに進出したイスラーム教徒ムーア人に対する蔑称だった。「ミンダナオのムスリムは、クリスチャンにたいする抵抗を示すために、あえてその蔑称を選び、みずから「モロ族」と自称するようになった。そのモロ族は、カトリックに教化したクリスチャン・フィリピノの中央政府に、今日でも容易に服従しようとはしない。」<鶴見良行『バナナと日本人』1982 岩波新書 p.18>

Episode ミンダナオの英雄 クダラート

 ミンダナオ島西部のコタバト付近のイスラーム教徒マギンダナオ族の指導者クダラートは1642年に君主(サルタン)を名乗り、王として権威を確立した。彼はマニラから南下してくるスペイン、バタヴィアから北上してくるオランダのいずれにも屈服しなかった。その年、台湾に進出したオランダを恐れたスペインがマニラに兵力を集中させる必要があったため、クダラートに和平を申し込んできた。1645年、クダラートはそれに応じてスペインと条約を結び、ミンダナオ南岸の大半の領土として認められた。それが「フィリピンの土地で初めて成立した国家らしい国家」だった。<鶴見良行『マングローブの沼地で』1984 朝日新聞社 p.62>

アメリカとの戦い

 スペイン植民地支配に対するフィリピンのイスラーム教徒の闘いがモロ戦争であったが、1898年の米西戦争に破れてスペインが撤退した後、新たなフィリピン支配者となったアメリカに対する戦いも続いた。そのフィリピン=アメリカ戦争においても、スールー諸島などでイスラーム教徒ゲリラによる激しい反米闘争が1915年まで続いた。

分離独立闘争

 また第二次世界大戦後の1970年代にはミンダナオのモロ民族解放戦線(MNLF)が結成され、フィリピンからの分離独立を掲げてマルコス政権と戦った。
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書籍案内

鶴見良行
『バナナと日本人』
1982 岩波新書

鶴見良行
『マングローブの沼地で―
東南アジア島嶼文化論への誘い』
1984 朝日選書

鈴木静夫
『物語フィリピンの歴史』
1997 中公新書