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モロ民族解放戦線

フィリピンのミンダナオなどで分離運動を続けるイスラーム教徒の軍事組織。

 フィリピンのミンダナオ島スルー諸島で、1972年から76年まで、フィリピンからの分離独立を主張して政府軍と戦ったイスラーム教徒(モロ)の軍事組織。略称はMNLF。
「モロ」は、もともとスペイン人がイスラーム教徒に対して用いた呼称であり、スペイン統治時代にはスペイン入植者に対するイスラーム教徒の抵抗が続いており、それをモロ戦争とも言われている。今日では、フィリピンのイスラーム教徒の総称として使われている。<鶴見良行『東南アジアを知る』1985 岩波新書 p.49 解説などによる> 
 フィリピンでは1960年代にマルコス独裁政府の開発政策の一環として、北部(ルソン島)の住民を南部のミンダナオに移住させて土地開発にあたらせる政策がとられた。ところがこの北部から流入した人々はキリスト教徒(クリスチャン=フィリピーノ)であったため、ミンダナオ島などで多数を占めるイスラーム教徒との間に宗教対立が生じ、それに政治的・経済的利害がからんで殺傷事件が起きるようになった。またベトナム反戦運動などの影響でフィリピン全土で民主化を求める運動が強まってきたが、マルコス政権は、1972年から戒厳令を布いて独裁権力を強化し、民主化を抑圧した。
 1972年末、ミンダナオとスルーの分離独立を主張してモロ民族解放戦線(MNLF)が結成され、ただちに政府軍との内戦が始まり、ミンダナオのコタバトやスルー諸島のモロでは数千人規模の犠牲者が出てMFLPが制圧した。MNLFを結成した指導者はスルー諸島(ミンダナオの西隣にある諸島でやはりムスリムが多い)出身でフィリピン大学で学んだミスアリたちだった。彼らはアラブ諸国に支援を要請、リビアに飛んでカダフィ大佐からの武器援助を得た。戦闘は長期化したが、マルコスはリビアに仲介を要請、1976年にトリポリ協定で一時的な休戦協定が成立した。その後、マルコス政権の崩壊などで戦闘は下火となったが、キリスト教徒とイスラーム教徒の対立の問題は、最終的な解決には至っていない。<鶴見良行『マングローブの沼地で』1984 朝日新聞社  p.179-187>
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ノートの参照
第16章3節 オ.アジアと開発独裁
書籍案内

鶴見良行
『東南アジアを知る』
1995 岩波新書
鶴見良行
『マングローブの沼地で―東南アジア島嶼文化論への誘い』
1984 朝日選書