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三跪九叩頭

清朝の皇帝が外国使節に要求した面会の作法。マカートニー、アマーストなどイギリス使節の面会でも強要された。

 三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)とは、一度跪(ひざまず)いて、三回頭をたれるという動作を三回繰り返すことで、清朝の皇帝に対する臣下の例であった。三跪九叩頭を行って皇帝に拝謁することはその臣下を意味しており、例えば、朝鮮が清朝の親征を受けて服従したときは、朝鮮王は清の皇帝に三跪九叩頭を行っている。1793年、イギリスからの最初の正式使節として派遣されたマカートニーは、三跪九叩頭を拒否したが、乾隆帝が特例として片膝をつく礼で謁見が認められた。1816年の使節アマーストも拒否したが、このときは謁見が認められなかった。  産業革命後に自由貿易主義が強まったイギリスでは、このような儀礼を遵守した外交ではラチがあかないと考えるようになり、1834年に派遣されたネイピアは軍艦を率いて広州に乗り込み、武力によって清朝に要求をのませることに転じていった。その路線は1840年、アヘン戦争によって現実のものとなる。

Episode イスメニアスの機知 メンツにとらわれない外交

 世界史上の外交で、相手国が要求する過度な儀礼の要求を拒否して話がこじれると言うことはよくあった。しかし、機転を利かせて成功させた例もある。ギリシアの都市国家テーベ(テーバイ)の人イスメニアスは、使節としてペルシア帝国の大王のもとに派遣されたとき、親衛隊長から「大王に謁見したいなら、御前にまかり出たらまず跪拝(きはい。ひざまずいて拝礼すること)しなければならない」といわれた。
(引用)するとイスメニアスは、「案内しろ」と言って、進んで大王の前に姿を現すと、指輪をはずしてこっそりと足許に落とし、あたかも跪拝するかのように素早く身を屈めてそれを拾い上げた。こうして、ペルシア大王には跪拝したと思わせながら、ギリシアでは恥辱とされているようなことは何もしなかった。ともあれ、彼は望みどおりに用向きは果たしたし、ペルシア大王から何ひとつ拒まれもしなかったのである。<アイリアノス/松平千秋ら訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.38>
 外交談判を行うには、メンツにとらわれるのではなく、時として機転を利かすことが必要だと教えてくれる逸話です。マカートニーやアマーストにはそのような機転は無かったようです。
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ノートの参照
第13章3節 東アジアの激動