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テーベ/テーバイ

ギリシアの有力ポリスの一つ。ペロポネソス戦争後に台頭し、スパルタと抗争、一時覇権を握る。

 ギリシアのポリスの一つでアイオリス人が建てた。テーバイともいう。ボイオティア地方の中心。ペロポネソス戦争後、スパルタと争い、エパミノンダスの指導のもとで前371年レウクトラの戦いでスパルタを破り、ギリシアの覇者となる。
 北方に進出しマケドニアと戦い、フィリッポス(後のフィリッポス2世)を人質にするなど、勢いがあった。しかし前335年にアレクサンドロス大王によって徹底的に破壊され、滅亡した。なお、悲劇作者ソフォクレスの代表作『アンティゴネー』は、テーベの支配権をめぐる骨肉の争いを題材としている。

Episode テーベでは捨子をしなかった

 アイリアノスの『ギリシア奇談集』によると、テーバイ(テーベ)では赤子を棄ててはならず、死なせるつもりで荒野に遺棄してはならないという掟があったと伝えている。その代わりに、父親が極貧の場合には、赤子が男であれ女であれ、出産後ただちに襁褓(むつき)を添えて役所に持っていくと、役所ではこの嬰児を競売にかけ、最も安い値を付けたものに売る。役所と買い主との契約同意事項は、必ず嬰児を育てること、成長した暁には奴隷もしくは婢として使ってもよい、つまり子供を働かせて養育費を回収すること、であった。<アイリアノス/松平千秋ら訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.58>

アレクサンドロスによって破壊される

(引用)アレクサンドロスはテーバイ(テーベ)の町を攻略した時、神官を除く全自由民を奴隷として売った。しかし父の知人たち――ピリッポス(父のフィリッポス2世)は幼少の頃テーバイで人質となっていたので――は売却から外し、その同族も同様に扱った。ピンダロスの子孫は厚遇を与え、彼の屋敷のみはそのまま保存させた。テーバイ人六千を殺し、捕虜の数は三万にのぼった。<アイリアノス/松平千秋ら訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.371-372>
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ノートの参照
第1章2節 ク.ポリスの変質
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アイリアノス
松平千秋・中務哲郎訳
『ギリシア奇談集』
1989 岩波文庫