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ルシタニア号事件

第一次世界大戦中の1915年、ドイツ軍の潜水艦がイギリス客船を撃沈した。多数のアメリカ人乗客が犠牲となったため、アメリカが参戦するきっかけとなった。

 第一次世界大戦のさなか、イギリスの豪華客船ルシタニア号はリヴァプールからニューヨークに向かって航行中、1915年5月7日にドイツの潜水艦Uボートによって、アイルランド沖で無警告で撃沈され、1198人が犠牲となった。その中に128名のアメリカ人がふくまれていたので、当時まだ参戦していなかったアメリカ国内で、世論が開戦に傾くきっかけとなった。そのような状況の中でウィルソン大統領はドイツに対して強硬な抗議を行った。

ドイツの無制限潜水艦攻撃

 ドイツ政府はそれ以前の1915年2月に、英仏による海上封鎖に対抗するために、イギリス周辺の海域を「戦争区域」とし、その区域内の敵商船は予告なしに潜水艦が水雷攻撃をおこなうと無制限潜水艦作戦を宣言していた。また、アメリカの抗議に対しては、ルシタニア号は補助巡洋艦が偽装したもので、カナダ兵と戦争器材が搭載されているので、アメリカの中立義務違反であると反論した。しかし、ルシタニア号事件に対するびアメリカや他の中立国による国際的非難がますます強まったため、無制限潜水艦攻撃は一旦停止した。その後、陸戦での長期化が明確となり、戦局の打開が必要になってきたため、1917年2月1日にドイツは無制限潜水艦作戦を再開することを宣言した。

アメリカの参戦

 アメリカ及び中立諸国ではドイツに対する非難が強まり、イギリスは戦争犯罪であるとして捜査を開始した。アメリカではウイルソン大統領はドイツに対する強硬な手段を執り、参戦もやむを得ないと考えるようになったが、国務大臣ブライアンはドイツとの戦争はアメリカにとって不利益であると主張して辞任し、後任にランシングが就任した。こうしてルシタニア号事件はアメリカの参戦をすぐに導くことはなかったが、1917年2月、ドイツが無制限潜水艦作戦を再開することを宣言すると、ついに4月にアメリカの第一次世界大戦参戦が決定されることとなった。アメリカの参戦によって第一次世界大戦はまさに世界大戦へと最後のステップを踏み出したが、そのころロシアでは革命の気運が高まり、ロシアの東部戦線からの脱落が焦点となっていく。
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ノートの参照
第15章1節 ア.第一次世界大戦の勃発