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反革命政権

ロシア革命に抵抗し、各地に成立した旧軍人などの政権。革命側の赤軍に対して白軍と言われ、外国の支援を受けて内戦を続けたが、20年までに敗れて消滅した。

 第2次ロシア革命における革命に反対する勢力である軍部などの反乱は、すでに1917年の10月、臨時政府に対する将軍コルニーロフの反乱が起こっている。この反乱は、トロツキーらのボリシェヴィキが組織した赤衛軍によって鎮圧された。それ以後、ボリシェヴィキ独裁政権が成立すると、サマーラやオムスクにボリシェヴィキ・ソヴィエト政権に対する独自の政府が作られた。
 それは旧軍人たちを主体とした帝政派、社会主義経済に反対するリベラル派、革命路線の違いから排除されたエスエル、テロを政治手段として採用する左翼エスエルやアナーキストなど、種種雑多な勢力の寄せ集めであったため、連携を欠いていたが、革命政府を包囲するようになり、また外国の対ソ干渉戦争ともあいまって、大きな脅威となった。これら反革命軍は、白軍と言われ、革命政府はトロツキーが中心となって赤軍を編成し、反革命軍・干渉軍との戦いにあたった。また内戦と干渉軍から革命を防衛する戦いにおいて、物資や食糧の不足から軍隊を守りために戦時共産主義がとられることとなった。
 おもな反革命政権に次のようなものがある。
コルチャーク政権 コルチャークはバルト海と黒海艦隊を指揮した帝政ロシア海軍の司令官。十月革命後はイギリスの支援でシベリアのオムスクに反革命政権をつくった。コルチャーク軍はシベリアの日本軍と共同し、パルチザン掃討をはかったが、農民の支持が無く、1919年11月にオムスクを撤退、20年1月にコルチャークは赤軍の捕虜となり、イルクーツクで銃殺された。
デニーキン政権 デニーキンは帝政ロシアの軍人。コルニーロフの反乱に加わって逮捕される。十月革命後、反革命軍を組織、イギリスの支援を得てカフカスから南ロシアに入り、ウクライナを支配した。1919年7月にはモスクワに進撃し革命軍と対決したが、背後を農民反乱軍であるマフノ軍に突かれて敗退し、1920年パリに亡命した。白軍の指揮はウランゲリ将軍が跡を継いで、クリミア半島を拠点に抵抗したが、赤軍とマフノ軍の共同攻勢によって敗北し、反革命勢力は消滅した。なお、マフノ軍はウクライナの農民反乱を組織したものであったが、ウランゲリ軍壊滅後、革命政府から「ソヴィエト共和国と革命の敵」として討伐される。
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ノートの参照
第15章1節 オ.ソヴィエト政権と戦時共産主義