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ロシア=ソヴィエト社会主義連邦共和国

ロシア革命によって1918年7月に成立した国家。後にソ連邦の中核となる。

 第2次ロシア革命の過程で、1918年7月に成立した国家で、「ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国」とする場合もある。略称はRSFSR。あるいは1922年のソヴィエト連邦の成立までをソヴィエト=ロシア、あるいは単にソヴィエト共和国という場合もある。1917年のロシア革命でソヴィエト政権が成立したが、それが「ソ連邦」となるのは1922年の12月なので注意しよう。 → ロシア
 1917年十月革命(十一月革命)でレーニンらの指導するボリシェヴィキがブルジョワ的臨時政府を倒し、翌18年1月にはボリシェヴィキ独裁体制をつくりあげた。このソヴィエト政権は、全ロシア=ソヴィエト会議を最高機関とし、人民委員会議を政府としているが、その基盤は労働者・農民・兵士の「評議会」であるソヴィエトであった。従来のブルジョワ社会の議会制民主主義とはまったく異なった理念であるボリシェヴィキ独裁(プロレタリア独裁)の国家であった。
 ブレスト=リトフスク条約でドイツとの講和を成立させて、1918年3月には首都をモスクワに移し、ボリシェヴィキは共産党と改称、共産党一党独裁体制を作り上げた。

最初のソヴィエト憲法

 1918年7月に第5回全ロシア=ソヴィエト大会で、憲法を制定してロシア=ソヴィエト社会主義連邦共和国となった。
(引用)この新憲法は人間による人間の搾取、社会的諸階級および私的土地所有の廃止を宣言するとともに「働かざる者は食うべからず」の原則を打ち出した。さらにこの憲法によれば、全ロシア=ソヴィエト大会が国権の最高機関とされ、その閉会中の常設の機関として中央執行委員会が設置された。基本的な政治単位は町や村のソヴィエトで、それが県ソヴィエトへ代表を送り、ついで州ソヴィエト、全ロシア=ソヴィエト大会という、間接代表制の形をとっていた。しかしここで特徴的なのは、農民よりも労働者により大きな代表権を与えていたことであった。
 このようにして憲法の上では、権力は下から上へとなっていたが、しかし真の権力はその反対に上から下へ、命令として下された。ソヴィエト体制の真の執行機関である人民委員会議の決定が、下部のすべてのソヴィエト執行委員会に対して拘束力を持っていたからである。またソヴィエト権力の真の源泉である共産党については、この新憲法では何ひとつ言及されていないことも特徴的だった。これがはっきり打ち出されるのは1936年の、いわゆるスターリン憲法においてである。<外川継男『ロシアとソ連邦』1991 講談社学術文庫 p.326>

ソ連邦への移行

  革命政権が反革命と干渉軍の攻撃に耐えて力をつけていった1920年までの間に、ロシアの周辺地域にもソヴィエト政権が次々と生まれていった。その結果、1922年12月30日にロシアとウクライナ・ベロルシア・ザカフカースの四共和国がソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)を結成、24年にソ連憲法を制定して一個の連邦国家となった。 → ロシア 
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ノートの参照
第15章1節 オ.ソヴィエト政権と戦時共産主義