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一国社会主義論

1925年以降、スターリンが提唱した、ソ連一国での社会主義国家建設を可能とする革命路線。

 1925年12月、ソ連共産党大会においてスターリンが提起し、採択された路線。これによってトロツキー世界革命論は否定され、ソ連の革命路線においては世界革命という理念は消滅した。背景にはドイツ社会の安定に伴ってドイツ革命に期待できなくなったことがあげられる。これ以降、ソ連は独自のプロレタリア独裁体制を強め、スターリン独裁への道を歩むことになる。

スターリンによる一国社会主義論の説明

 スターリンの一国社会主義論とは、彼自身の説明に拠れば次のような意味である。1924年4月の『レーニン主義の基礎について』初版では、
「これまでは、一国における革命の勝利は不可能だとみなされ、ブルジョアジーに対して勝利するためには、すべての先進国、あるいはすくなくとも大多数の先進国のプロレタリアがいっしょに立ちあがることが必要だと考えられていた。現在では、この見地はもはや実際とは合致しなくなっている。現在では、このような勝利が可能であるということから出発しなければならない。なぜなら、帝国主義の情勢のもとでの各資本主義国家の発展の不均等で飛躍的な性質、不可避的な戦争にみちびく帝国主義内部の破局的な矛盾の発展、世界のすべての国における革命運動の成長 これはみな、個々の国におけるプロレタリアートの勝利が、可能であるばかりでなく、必然的でもあるという結果をもたらすからである。ロシア革命の歴史は、それを直接証明している。」としている。「一国でも革命は可能である」というこの部分に続いて、「しかし社会主義建設は一国では不可能」と述べていたが、10月に出された再版では、
「一国内でブルジョアジーの権力を打倒し、プロレタリアートの権力を樹立することは、まだ、社会主義の完全な勝利を保証することを意味しない。自分の権力をかため、農民を指導することによって、勝利した国のプロレタリアートは、社会主義社会の建設を完成することができるし、また完成しなければならない。」と述べ、一国でも革命のみならず、社会主義社会建設も可能である、と訂正された。<菊地昌典『歴史としてのスターリン時代』 による>