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世界革命論/永続革命論

共産主義革命路線としてロシアの枠を越えた世界革命をめざし、永続的な革命を想定した当初のレーニンの主張で、トロツキーに継承された。スターリンの一国社会主義路線の台頭によって否定された。

 マルクス主義の考え方では当初、社会主義革命は資本主義が高度に発展する中でそれ自身の中に矛盾が生じ、自覚したプロレタリアが革命を起こして順次社会主義社会を建設していくと言うものであったが、ロシアという十分に資本主義が生育していない「後進的」な地域で革命が成功したことを受けて、ロシアのような後進地域での社会主義は維持できないから、他の「先進的」諸国も含む「世界革命」を同時に展開し、世界全体が社会主義化するまで「永久革命」を継続すべきである、という考え方が生まれた。それをもっとも先鋭な形で主張したのはトロツキーであったが、レーニンも当初はそれに同調しており、「コミンテルン」運動もその理念に基づいていた。
 しかし、コミンテルンが目指したロシア以外での社会主義革命は、ヨーロッパではハンガリー革命ドイツ革命で失敗し、アジアではモンゴルで1924年にモンゴル人民共和国が成立したが、中国では国共合作は成立したものの、独自権力を樹立することはできず、他の地域でも失敗に終わった。
 そのような中でソ連共産党書記長となったスターリンは、ソ連一国での社会主義革命が可能であるとする一国社会主義論に転換し、トロツキーらの世界革命論に対して現実とは相容れない理念であるとして激しく批判した。1924年のレーニンの死後、路線対立は激しい権力闘争として展開され、スターリンが権力を掌握に成功、トロツキーは敗れ、権力から除外されていった。スターリン独裁体制が出来上がると、ソ連共産党および各国の共産党の主流的な勢力からはこの「世界革命論」(または「永続革命論」)は極左的な空論として否定され、それを主張する人々はトロツキストとして粛清されるなどして排除されていった。

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