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フィリピン独立法

1934年、アメリカの議会で成立した10年後の独立を認める法律。

 1934年、アメリカ合衆国のF=ローズヴェルト大統領の時、アメリカ議会で成立した、10年後にフィリピンの独立を認めた法律。提案者の名前から、タイディングス=マクダフィー法ともいう。同法はフィリピン議会でも承認され、これによってフィリピンは1946年7月4日に独立することが決まった。
 アメリカ合衆国の統治下にあったフィリピンでは、独立を要求する運動が続いていたが、1930年代にアメリカ国内でもフィリピン分離論がおこってきた。その理由は、フィリピンからの安価な砂糖とタバコの輸入がそれぞれ国内産業を圧迫していたこと、低賃金のフィリピン人労働者の流入を労働界が恐れたことなどがあった。フィリピン内部でも米軍基地の存続を認めるかどうかで意見が対立し、何度かの法案の否決を経て1934年に成立した。時のF=ローズヴェルト大統領のカリブ海での善隣外交、あるいはソ連の承認などの流れの中で実現した。この独立法によって、翌年自治政府であるフィリピン独立準備政府が発足し、41年からの日本軍の支配の後、1946年にフィリピン共和国が成立した。<鈴木静夫『物語フィリピンの歴史』1997 中公新書 p.159-160 などによる>

アメリカのフィリピン独立約束

(引用)米国は、フィリピンを領有後、植民地と本国内における砂糖産業の競合のゆえに、早くから独立付与を考えている。だが、ミンダナオだけは”未開の野蛮人”の土地で、資本にとっての別天地だった。だから、ミンダナオを米国の恒久的なプランテーションの土地にして、かつて一九〇〇年代にイタリアからの移民をアラスカに導入したように、黒人をここへ植民しようなどという議論が一九二〇年代の米国議会で行われている。このようなミンダナオ特殊視は今日までつづいている。・・・日本もフィリピンも同じマッカーサー将軍とともに戦後を歩み始めた。だが占領軍は、日本では農地改革を行ったのに、フィリピンでは大地主を保護し、戦災保証金などを与えている。日本でも台湾でも米国の指導で農地改革が行われたのに、フィリピンでは行われなかった。それは、なぜか。戦前から米国資本がフィリピン地主層と結んでいたから、農地改革をしたくてもできなかったのである・・・。もっとも、地主に対する農民の不満が共産主義革命にゆきつくことを恐れていた(引用者注・中国の共産革命がそうだった)米国政府は、何度も農地改革案をつきつけたが、地主層の支配するフィリピン議会でいずれもつぶされている。・・・<鶴見良行『バナナと日本人』1982 岩波新書 p.18>
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ノートの参照
第15章3節 オ.東南アジアでの民族運動の展開
書籍案内

鈴木静夫
『物語フィリピンの歴史』
1997 中公新書


鶴見良行
『バナナと日本人』
1982 岩波新書