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我が闘争

ドイツのヒトラーが獄中で著作。ゲルマン民族の優越性、ヴェルサイユ体制の打破などの政治的主張を展開した。

 ヒトラーが、国民(国家)社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の活動理念、方針について描いたもので、いわゆるナチズムの聖典とされる書物である。1923年、ミュンヘン一揆の蜂起に失敗したヒトラーが、捕らえられて裁判で有罪となり、収監されたあいだに、ミュンヘンで第一部を口述筆記された。内容はヒトラー自身のオーストリア以来の生い立ちを延べ、ドイツ民族の優越とその裏返しのユダヤ人絶滅政策を激しく表現している。ヒトラー自身の思想を知る上では参考になるが、そこに述べられている内容には根拠に乏しく、偏見に満ちており、誤りも多い。

Episode 『わが闘争』全新婚家庭に贈呈

 ナチスは1936年以来、結婚式の際、すべての新婚夫婦に役場から『わが闘争』を贈ることにした。さらに全部で一〇〇〇万部近く売れたがほとんどが読まれなかった。敗戦と共に占領軍は『わが闘争』を初めとするナチス関係の書物の提出を命じたが、あつまったのはごくわずかに過ぎなかった。多くのドイツ人は、戦線が近づいてくると取り締まりを恐れて『わが闘争』を燃やすか、埋めてしまった。連合軍の将兵がたまに残っているこの本を見つけると、土産として取り上げていった。<マーザー『現代ドイツ史入門』1995 講談社現代新書 p.58>

NewS 『わが闘争』出版か封印か

 ヒトラーの著書『わが闘争』は、戦後は一貫してドイツ国内での出版は許されてこなかった。その禁書が、戦後70年を経た2015年、封を解かれて世に出ることになった。『わが闘争』は戦前に一千万部以上が出版されたが、戦後は連合国の方針でヒトラーの住所のあったバイエルン州に著作権が移された。バイエルン州が出版を禁じていたのだが、ヒトラー死後70年の2015年で著作権が切れる。それを受けてミュンヘンの公立「現代史研究所」が、ヒトラーの誤りを指摘する注釈を加えて極右による悪用を防ぐ<適切な版>の出版を計画した。それに対してバイエルン州は、民衆扇動罪で刑事告発すると牽制している。侵略とユダヤ人虐殺という負の歴史を直視することは、戦後ドイツのコンセンサスであったが、余りに過敏になりすぎ、成熟した民主国家ではあってはならない「禁書」になったしまっている、という議論も起こっているという。<朝日新聞 2015年4月19日朝刊>