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英独海軍協定

1935年6月、イギリスとナチス=ドイツの海軍協定。イギリスがドイツの再軍備を認め、その宥和政策の第一歩。

 1935年6月、イギリスのボールドウィン内閣は、ドイツに対して、イギリスの35%までの軍艦を保有できること、潜水艦(Uボート)はイギリスの60%まで建造できることを、商船攻撃には使用しないことを保障させた上で承認した。

宥和政策の始まり

 これより前の同年の3月、ドイツのヒトラー政権がヴェルサイユ条約に反して再軍備(徴兵制復活)に踏み切ったことに対して、イギリスはフランスとイタリアと共にストレーザ戦線といわれる共同歩調を取って抗議した。しかしその一方、イギリスはフランスには無断でドイツと交渉を進め、ドイツに対する一定の譲歩をすることによって、ヒトラーを満足させ、それ以上の膨張政策をとらせないようにしようという、いわゆる宥和政策をとったのだった。このイギリスとフランスの足並みが乱れたことによってストレーザ戦線は解消され、ヒトラーの再軍備は容認されることになり、その強気の外交の成功を重ねることになった。イギリスのヒトラーが満足して約束を守るだろうという見通しは裏切られ、ヒトラーは協定によって戦艦、潜水艦の建造が認められたとして、建造を急速に進めたて行き、この協定は1939年4月に一方的に破棄されることとなる。

Episode 英独海軍協定に対するチャーチルの批判

 当時、保守党の一議員として対独宥和政策を批判していたチャーチルは、次のように述べている。
(引用)凡そ軍人が政治に口出しすることは常に危険なことである。・・・しばらく前から、イギリスとドイツの両海軍省のあいだに、両国海軍の比率に関する交渉が行われていたのである。ヴェルサイユ条約によって、ドイツは六千トンを越えない軽巡洋艦六隻と、一万トンの戦闘艦六隻以上を建造することを許されていなかった。最近イギリス海軍省が発見したところによると、ドイツが最近建造中の二隻のポケット戦艦――シャルンホルスト号とグナイゼナウ号は、条約によって認められたよりも、はるかに大型であり、しかも全く異った型のものであった。...この周到な計画の下に、少なくとも二年前(一九三三年)に着手された、厚かましい詐欺的な平和条約の侵犯に直面して、イギリス海軍省は現実の上に立って、英独海軍協定を結ぶ必要があると考えた。イギリス政府はこれを同盟国のフランスにも相談せず、国際連盟にも通告せずに実行した。イギリス自身が連盟に提訴し、ヒトラーが平和条約(ヴェルサイユ条約)の陸軍条項を侵犯したのに対して抗議するために、連盟加盟国の支持を求めつつあったちょうどそのときに、イギリスは同じ条約の海軍条項を放棄するための、ひそかな協定を進めていたのである。<チャーチル『第2次世界大戦1』p.119 河出文庫>