神話
人類が部族や民族ごとに有している共通の伝承。また、哲学や宗教上によって生まれた人間としての自覚以前の、人類の世界観でもあった。
原始宗教ではまとまった教義や経典はもっていないが、長い間に儀式を執り行う際に、その意義付けを神話というかたちで先祖から継承してきた。神話には一般的に、天地創造や神々の系譜、人間や動物の起源、霊力もった主人公によって共同体が護られてきた物語などを含んでおり、「法律」や「歴史」を持っていなかった時代の人間の倫理綱領であり、集団のアイデンティティのよりどころとなる機能を持っていた。また各地の神話はその構造や関係性に近似するものが多く、「文化人類学」の研究対象として重要である。神話は長く口承されてきたが、その一部が文明の形成期に文章化、記録化された。ホメロスによって記録されたギリシア神話、日本では稗田阿礼が口承したものを太安万侶が記録した『古事記』などである。
世界史における神話時代
ヤスパースは、第二次世界大戦後の1946年に発表した『歴史の起源と目標』という著作の中で、紀元前500年頃から各文明圏で起こった思想と宗教上の動きを、人間が人間であることを自覚した大きな転換期であるとして「枢軸時代」と呼んだ。そして、それ以前を「神話時代」と捉え、その終焉について、次のように述べている。(引用)神話時代は、その安らぎと自明性とともに終焉した。ギリシャ、インド、シナの哲学者たちや仏陀は、その決定的な洞察において非神話的であり、予言者たちは神の思想において非神話的であった。合理的精神ならびに合理的に啓蒙された経験に立脚する側よりの、神話に対する闘いが始まり(理性=ロゴス対神話=ミュトス)ー更に実際には存在しない魔=デーモンに対する一なる超越神のための闘いが始まり、ーそしてまた、倫理的な反感から発する非真実な神々への闘いが始まったのである。神性は宗教の倫理化によって高められた。しかし神話は言葉の材料となり、言葉は、神話が本来持っていたのとは全然別な意味を告げるものとなり、神話を比喩としてしまった。神話が全面的に破壊されるやただちに、新たな様式で神話創作の過程が起こり、神話は再び新たな深みから把握しなおされ、作り変えられた。古い神話の世界は徐々に没落して行ったが、全体的な背景は、民衆の事実上の信仰によって保たれた(そして後には広範囲にわたって再び勝利を獲得し得たのである)。<ヤスパース/重田英世訳『歴史の起源と目標』1949 ヤスパース選集 9 1964年刊 理想社 P.24>
レヴィ=ストロースの神話理論
現代の神話研究に大きな転換をもたらしたのが、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)であった。レヴィ=ストロースは戦後ブラジルの奥地で現地調査に従事し、「未開」社会に文明と同じ構造があることを発見、『野生の思考』、『悲しき熱帯』などの著作で構造主義と言われる新しい文化人類学の理論を打ち立てた。その際に彼が用いたのは、南米から北米にかけて広く分布するインディアンに伝えられた「神話」であった。後に世界各地の神話を分析して『神話論理』4部作の大著を発表、現代の神話論を根底から覆した。その詳細を紹介することはできないが、彼が初学者の質問に答える形で書いた小著『神話と意味』から、そのエキスに接することはできる。その中で彼が「神話と歴史」について語っている部分を見てみよう。(引用)私たちの社会では、神話に代わって歴史がそれと同じ機能をはたしているのだと言ってしまっても、それは私の信ずるところをあまりはずれてはおりません。文字や古文書をもたない社会においては、神話の目的とは、未来が現在と過去に対してできる限り忠実であること――完全に同じであることは明らかに不可能ですが――の保証なのです。ところが私たちは、未来はつねに現在とは異なるものであるべきだ、またますます異なったものになってゆくべきだ、と考えます。そして、どのような相違を考えるかは、ある範囲までは、もちろん私たちの政治的傾向によって左右されます。私たちの心のなかで、神話と歴史のあいだにはある断絶が存在します。しかしながらこの断絶は、歴史の研究によっておそらく打ち破られるでしょう。ただしそれは、歴史を神話から切り離されたものとは見なさず、神話の延長として研究することによって可能になるのです。<レヴィ=ストロース/大橋保夫訳『神話と意味』1996 みすず書房 p.59>