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リウィウス/『ローマ建国史』

ローマ帝政初期・アウグストゥス時代の歴史家で、『ローマ建国史』を著作した。『ローマ建国史』は前8世紀の都市ローマの成立から、初代皇帝アウグストゥスの時代までを論述し、一部は残っていないが、ローマ史の基本文献の一つとなっている。

 ローマの建国からアウグストゥス時代まで142巻の大歴史書『ローマ建国史』(『ローマ建国以来の歴史』ともいう)を著した。そのうち現在は40巻ほどが現存する。彼は共和政的貴族政治を理想とし、カエサルの独裁以降に対しては批判的であったが、アウグストゥスは彼を援助し、全巻を完成させた。特にロムルスとレムスなどのローマ市の建設、王政から共和政への移行、などはリヴィウスの著作によって知りうることであるので、ローマ史研究にとって不可欠の資料となっている。
 リウィウス Titus Livius 59B.C.~17A.D の詳しい経歴は不明な点が多いが、北イタリアのパドヴァで生まれ、ローマに出て文筆で生活をするようになった。最も重要なことは、彼がアウグストゥスに認められ、その保護を受け、ローマの歴史を書くことになったことである。その著作はラテン語で書かれ、ローマ文化の中で、歴史家としてはタキトゥスポリビオスと、文章家としてはウェルギリウスホラティウスと並び称される。

『ローマ建国史』

 『ローマ建国史』(『ローマ建国以来の歴史』ともいう)の著述で、彼が目指したのは、彼にとっての「現代」であるアウグストゥスの時代がどのようにして生まれてきたのか、前8世紀の都市ローマの成立から7百年間をふりかえることであった。彼が材料としたのは、多くは口承の伝説であって厳密な史料を基に構成するという後の歴史学とは異なるが、単に伝説をそのまま記録してつなげ行くのではなく、彼自身の現代に至るローマの歴史を記述するというテーマ性のある歴史書である。さらにそれはアウグストゥスの徳を顕彰するためというようなものではなく、現代を批判する視点で過去を見ているのであり、それがこの歴史書の価値となっている。
 現在、彼の主著『ローマ建国史』の日本語訳は、鈴木一州氏訳の岩波文庫の上中下三冊で刊行されるはずであったが、今のところ上巻だけで止まっている。その他、PHP出版の北村良和氏の抄訳上下二冊本、京都大学学術出版会の『ローマ建国以来の歴史』が西洋古典叢書として刊行中であるが、気軽に文庫本で手に取ることのできる岩波文庫版の中・下が刊行されることを期待したい。ところがどうやら訳者の鈴木氏が病没したらしく、続刊の見通しはないようだ。研究やレポート作成であれば古典叢書に当たるしかないが、そこまででないなら、とりあえずは岩波文庫本の上巻でその一部に触れることでがまんするしかない。
 さて、今その内容に立ち入る余裕はないが、手に取った岩波文庫版の序言の中でリウィウスはこう書いている。
(引用)明確な記録にとどめられたあらゆる種類の先例が教えるところに、君みずから注目することこそが、とくに歴史を知るうえで、健全であり、有益である。されば、それらの先蹤から、君のため、君の共同体のため、範とすべきものを採るがよい。始まりにおいて忌まわしく、結末において忌まわしく、避くべきものを採るがよい。ちなみに、着手した仕事への愛着のあまり、私にして判断を誤るのでないとすれば、いかなる共同体といえど、かつていっそう大きく、いっそう敬虔で、よき先例にいっそう恵まれた例は全くないし、貪欲と奢侈がこれほと移り入り、清貧と倹約がこれほと長きにわたってこれほど大きな名誉であった市民団もない。まこと、財物が少なければ、それだけ欲望も少なかった。最近は、富が貪欲を招き寄せ、漲る欲望が、逸楽と放埒に耽ってわが身も亡び、かつはすべてを亡ぼしすくすことを憧れさせている。しかし、慨嘆は、恐らく止むをえないけれども決して好ましくはないであろう。これほどの仕事を始める少なくともその端緒においては差し控えるとしよう。むしろ、詩人と同じく、我らにとっても慣いとあれば、幸先よきを願い、男神、女神たちへの誓いと祈りをもって潔く始めよう――――これほどの述作に着手した我らに良き成果を与え給え、と。<リウィウス/鈴木一州訳『ローマ建国史』上 2007 岩波文庫 序言 p.11-10>
 ここで「君」といっているのは、皇帝アウグストゥスのことではないだろうか。皇帝に対して、歴史の先例から「始まりにおいて忌まわしく、結末において忌まわしく、避くべきものを採るがよい。」と諭しているのだ。そしてかつては清貧と倹約を名誉としていたローマ市民団は今、逸楽と放埒に耽っていると述べてる。しかし慨嘆は差し控えて、歴史の著述にあたろうと決意している、と解して良いだろう。

アウグストゥスとリウィウス

 リウィウスの紹介と評価には次の文がもっとも的確で要領を得ていると思える。
(引用)アウグストゥスは次のような歴史家を歓迎しようとしていた――――いや、その到来を願っていた。つまり、過去の出来事から、このような継続性を抽出し、たとえば、時代に応じて制度が柔軟であったことを示し、ローマの性格を把握するため、唯一の理想と唯一の使命に忠実に、一歩一歩ローマの努力を辿っていく歴史家である。リウィウスは、この仕事に着手し、ローマの起源から紀元9年までのローマ史142巻を書きあげた。これ以上書き進められなかったのは、他界したからにすぎない。そのうち35巻が完全な形で伝存しており、そのほかの巻は、きわめて不完全な要約と断片が伝来しているだけである。リウィウス直前の時代の歴史家は、一つの戦争、一つのエピソードに関する専門論文を書くだけだったが、リウィウスはこの方法と決別し、きわめて古い時代のラテン人の歴史家、すなわち年代記編者の手法を再び取り上げて、ローマ創建記からのすべての出来事を一年ずつ記述した。ところが――――とくに新しい点として――――リウィウスの叙述には「思想性」がある。問題としているのは、ローマを説明し、ローマが生きて戦う姿を眺め、ローマの偉大さの原因や、内乱時代にローマが蒙った災難の原因を理解し、最後に元首政誕生の理由を明らかにすることだった。しかし、リウィウスの著作は、結局、政治に奉仕していたとしても、きわめて正当なものであり、ある程度、資料の批判や比較校量が行われていて、信憑性の基準(かなり主観的なことは事実だが)に基づいて資料が選択されている。痛ましい、あるいはあまり名誉なことと思えない事件も隠してはいない。リウィウスは、ローマ最古の時代の伝承を眼を瞑って受け入れることはない。彼の著作が現存する唯一の証言であることが極めて多いので、彼の著作がなかったならば、ローマ史の特定の時代は、こんにちより遙かに分からないだけでなく、ローマの姿そのものも、こんにちわれわれの目に映る姿ではないだろうし、かつてローマ帝国を築いた人物を同じ好感と親密感で描くことはできまい。リウィウスの歴史からは、力と精神的力強さという印象が漂ってくる。その教訓は不滅の価値を失っていない。確かに、リウィウスはアウグストゥスに仕えたが、心底愛したこの祖国にアウグストゥスが尽くした範囲内で尽力したのである。<ピエール・グリマル/北野徹訳『アウグストゥスの世紀』2004 文庫クセジュ p.112-113>

マキャヴェリの『ディスコルシ』

 『君主論』の著者として名高いマキァヴェリが1513年頃に書いた『ディスコルシ』(日本では『ローマ史論』として刊行されることが多かった)という書物は、原題が「ティトウス・リウィウス『ローマ史』にもとづく論考」というもので、リウィウスの『ローマ建国史』の最初の十章をしたじきにローマの歴史を論じている。マキャヴェリもリウィウスが伝えるローマ建国期の歴史を素材として、彼にとっての現代である16世紀のイタリア――まさにルネサンス末期の混乱期であった――を論じている。リウィウスは、16世紀のマキャヴェリにも材料を提供し、現代の我々にも歴史の見方を教えてくれている。それは「いやなことからも目をそらすな」ということではないだろうか。