後漢末に、
張角が始めた民間宗教。罪を懺悔告白し、お札と霊水を飲み、神に許しを乞う願文を唱えると病が治る、というような現世利益を説いた。そのような具体的な救済法が民衆に受け入れられ、貧困と悪政に悩む民衆の心を捕らえたものと思われる。
黄巾の乱を起こす。
後漢末の社会不安の中で勢力を伸ばし、教団組織は軍団組織を兼ねるようになり、
184年に後漢王朝の打倒を唱えて挙兵した。それが
黄巾の乱である。張角もまもなく死亡し、太平道は後漢の武力によって弾圧されて消滅したが、同じころ四川省で起こった
五斗米道とともに、後に中国の民間信仰である
道教につながっていく。