顔真卿
顔真卿書『多宝塔碑』
『世界の歴史教科書 中国』p.388
8世紀、唐代の盛唐の時期の書家。豊かな書風の書を残した。安史の乱で唐朝側の太守として戦死した。
がんしんけい 709~785 盛唐(玄宗の時代)の書家。魏晋南北朝時代(4世紀)の東晋の王羲之の貴族的な書風に対し、雄勁な書風をつくりだした。初唐の欧陽詢・虞世南・褚遂良の三人に加え、唐代の書道の四大家に加えることもある。その書は初唐の欧陽詢や褚遂良の端正な書風に対して、豊かな肉付きがあり「気迫雄大」とも評される。 → 唐の文化
反乱鎮圧後、その戦いぶりを評価されて朝廷で重く用いられるようになった。しかし、剛直の故に煙たがられたか、藩鎮の李希烈が反乱を起こすと使者となってその折衝の役を与えられ、785年、現地で反乱軍に捕らえられて殺されてしまった。
安史の乱で反乱軍と戦う
顔真卿は唐朝に仕える役人であったので、755年、節度使安禄山が唐に反旗を翻し安史の乱が起こったときは山東省の平原郡の太守(地方長官)だった。唐朝への忠誠心の強い顔真卿は、従兄弟らとともに反乱軍の安禄山軍に抵抗して戦った。義勇兵を募って戦ったが利あらず敗れた。反乱鎮圧後、その戦いぶりを評価されて朝廷で重く用いられるようになった。しかし、剛直の故に煙たがられたか、藩鎮の李希烈が反乱を起こすと使者となってその折衝の役を与えられ、785年、現地で反乱軍に捕らえられて殺されてしまった。