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第3章 東アジア世界の形成と発展

2 東アジア文化圏の形成

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ア.隋の統一と唐の隆盛 用語リストへ
 隋 の統一 581年 北周の外戚a 楊堅 が禅譲を受け即位(文帝)。
 589年 南朝の陳を滅ぼす。都b 大興城 を建設。長安の東南。
   → 背景:583年 c 突厥 の東西分裂。隋は東突厥と結ぶ。
 ・土地制度:北魏のd 均田制 を継承。
 ・税制:土地公有の原則のもとにe 租庸調制 を制定。
 ・軍事制度:西魏で始まったf 府兵制 を継承、兵農一致の体制を作る。

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 ・官吏登用制:九品中正制を廃止し、g 科挙 =官吏登用(選挙)に儒学の試験を用いる。
 ▲法律の整備:h 律令 を制定。 → いずれも唐に受け継がれて完成する。
  → 中央集権化をはかる。
 煬帝  第2代皇帝 604~618年
・a 大運河 の完成:華北と江南の物資の交易のため。通済渠など。 
  → 中国史上初めての華北と江南を結ぶ動脈となり、後代にも大きな役割を果たす。

隋代の運河

隋代の運河
 a 広通渠 
 b 永済渠 
 c 通済渠 
 d 山陽瀆 
 e 江南河 

 主要都市
 1 大興城(長安) 
 2 洛陽 
 3 汴州(開封) 
 4 江都(揚州) 
 5 余杭(杭州) 
 6 涿郡(北京) 
 607年 日本の▲b 聖徳太子 、遣隋使(小野妹子)を派遺、煬帝と交渉。
 隋 の滅亡
 612年以後、3度にわたるa 高句麗 遠征に失敗。土木工事と共に農民の困窮をもたらす。
  → 各地に反乱起こる。 → 618年 江都で暗殺され、滅亡。
 唐 の建国
  隋の武将a 李淵 、山西で挙兵、大興城を占領(東突厥と結ぶ。)
 618年 建国。唐のb 高祖 。都c 長安 
  2代 d 太宗(李世民) 中国を統一。=▲e 貞観の治 (627~649)
 630年 東突厥を服属させ、遊牧民諸部族から天可汗の称号を贈られる。
  3代 f 高宗 (649~683年) 北の突厥、東の百済・高句麗を破る。西は西域を領有。
  征服地にはg 都護府 をおく。安東都護府安西都護府安南都護府安北都護府など。
  実際はその地の有力者に任せるh 羈縻政策 をとる。
 7世紀 唐の全盛期
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イ.唐代の制度と文化 用語リストへ
○唐の制度
 律令制度  
 ・法体系 a 律 =刑法 b 令 =行政法 c 格 =臨時法 d 式 =施行細則
 ・中央機構=e 三省 中書省(詔勅の草案作成) 門下省(審議) 尚書省(執行)
       f 六部 吏部戸部礼部兵部刑部工部
       監督機関=御史台
 ・地方制度=州県制
 ・官吏登用制度=g 科挙制度 秀才明経進士などの科目。1905年まで継続。
         貴族の子弟には蔭位の制の特権があった。
 均田制  土地を公有とし、16才以上の男子に▲a 口分田 (80畝)を班給して耕作させ
   租税を負担させる。死ねば国家に返還する。(他に世襲の▲b 永業田 20畝を支給。
   60才以上の老人や官戸には40畝、未亡人には30畝を支拾。)
  → 日本の▲c 班田収授法 の手本とされる。
 租庸調制  均田制をもとにした租税制度。口分田を耕作する丁男にかかる人頭税。
   a 租 :粟2石の現物
   b 庸 :年20日の労役を「正役」、その代償物の絹を庸。
   c 調 :絹、綿、布または麻斤の現物。
   d 雑徭 :年40日の地方での労役。
  ・ポイントは、口分田を耕作する丁男にかかる人頭税で、現物納で定額制であることと、
   労役(律令では徭役という)の比重が大きいこと。
 府兵制  西魏に始まる。口分田を班給される男子から徴兵。兵役:地方の折衝府に勤務、
   都の警備(衛士)、辺境の防備(防人)などに選ばれる。租庸調は免除になるが、武器自弁。
 ※律令制社会のまとめ:
  a 公地公民の原則のもとで農民に土地を与えて自作農として税を課し、兵士として徴発する体制。 
  → 実施状況は西域の敦煌文書やトルファンで出土した給田文書などで知ることが出来る。

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  一方で貴族はb 荘園 という大土地所有が認められ、小作人(佃戸)を使役して経営。
 ・貨幣制度 漢の五銖銭以来の統一貨幣、開元通宝を発行(高祖が621年に発行)。
○唐の文化の特徴
  a 「豊かな国際性」と「貴族文化の繁栄」が顕著な特徴といえる。 
  b 儒教、仏教、道教の「三教」も互いに競いながら展開した。 
  c 「三夷教」および回教といわれる西方伝来の新宗教も都長安で流行した。  
  d 冊封体制のもとで周辺世界に大きな影響を及ぼした。 
 豊かな国際性 
・西域を通しササン朝ペルシアからイラン文化が伝えられ、冊封体制のもとで東アジア各地
 から使節や商人、留学生などが集まった。都長安では特に国際的な文化が開花した。
・都a 長安 の繁栄:東西対称の都市計画 → 日本の平城京・平安京などのモデル
  周辺諸国からの朝貢使節・留学生・商人が集まる。(日本からの遣唐使など)
・仏教寺院・道教寺院(道観)のほか、以下の各宗派の寺院が建設されていた。
 b 景教  :『大秦景教流行中国碑』が建設される。
 c 祅教 :イラン人の宗教ゾロアスター教。拝火教とも言われた。
 d 摩尼教 :イランのササン朝ペルシア起源の宗教。以上を「三夷教」という。
 e 回教 :イスラームのこと。8世紀にイスラム商人が伝えた。清真教ともいう。
・651年 f ササン朝ペルシア の滅亡 → イラン人の長安移住
  → ポロ競技などの流行
  → 日本にもイラン文化伝わる。
    例 法隆寺の獅子狩文錦、正倉院の漆胡瓶・白瑠璃椀など(第1章1節参照)
・アラブ人との交易 g 揚州 ・h 広州 など、華中・華南の港市が繁栄。
  → 広州に海上貿易を管轄するi 市舶司 がおかれる。外国人居留地は蕃坊という。
  → アラブ人(イスラーム教徒)の商人はj 大食 と言われる。
景教流行中国碑

大秦景教流行中国碑

図と解説: 唐の国際性
 仏教の隆盛 
・朝廷・貴族の保護を受け繁栄し、インドとの仏僧の往来も活発だった。
 唐王朝は老子と同じ李姓だったことから道教を保護したが仏教に対しても当初は寛容であった。
・唐僧のインドへの旅行
 a 玄奘 :629年、陸路インドに向かう。ヴァルダナ朝のハルシャ王の保護を受け、
  b ナーランダー僧院 に学び、645年に多数の経典を持ち帰り法相宗を開く。長安に慈恩寺を創建。
  旅行記c 『大唐西域記』 を著す。 →『西遊記』の原作となる。
 d 義浄 :671年、海路インドに到達。経典を持ち帰る。その旅行記がe 『南海寄帰内法伝』 

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・仏教の各宗派の形成。仏教教理の研究も進み、多くの宗派がおこる。
 f 浄土宗 末法思想が興り、念仏により阿弥陀如来のいる極楽浄土への往生を願う。
       → 阿弥陀信仰
 g 禅宗 :インドから伝わり、坐禅により悟りを開くことを求める。
 ▲他に、華厳宗(華厳経を重視)、天台宗(法華経を重視)、h 密教 である真言宗などが興る。
 ▲後半の8世紀中期、武宗の時には弾圧を受け(会昌の廃仏)、一時衰退。
 儒教  儒学はa 科挙  の試験科目とされ、貴族の必須の教養とされる。
・b 孔穎達 :太宗に仕え『五経正義』などを編纂=五経の公式解釈書を編纂。
  → 経典の解釈を主とするc 訓詁学 が復興。
  → 内容的には固定化し、思想や学問上の発達はみられず。
 貴族文化   魏晋南北朝から隋代にかけて成立した貴族社会が文化の担い手となる。
唐詩:初唐(太宗~則天武后の時代=7世紀)・盛唐(玄宗の時代=8世紀前半)・
    中唐(安史の乱後から9世紀初め)・晩唐(9世紀中頃~唐滅亡まで)の4期に区分
    唐で詩文が発展した背景:a 官吏登用試験の科挙で、詩作の能力が問われたこと。 
・文学(詩):盛唐のa 王維 ・b 李白 ・c 杜甫   中唐のd 白居易(白楽天) 
    →中国文学の全盛期。日本の古典にも大きな影響を与える。
   (文章):e 韓愈(韓退之) ・f 柳宗元 ら、古文の復興をとなえる。
     = 四六駢儷体の技巧を排し、漢以前の自由な表現を重んじる。
・絵画:六朝に始まる山水画が進歩。初唐の閻立本(人物画)
    盛唐のg 呉道玄 李思訓・王維などが活躍。
・書道:初唐に欧陽詢褚遂良・虞世南ら、中唐のh 顔真卿 が有名。
・工芸:唐三彩 緑、褐色、白で彩色した陶器。
 
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ウ.唐と隣接諸国 用語リストへ
1.北方の遊牧民族
 突厥   6世紀 トルコ系民族  モンゴル草原から中央アジア一帯を支配
  大遊牧帝国を建設(第4章2節参照) → 西方ではエフタルを滅ぼす。
・583年 隋に圧迫され東西に分裂。
 → 東突厥は唐の建国を助け、一時隆盛。→ 630年 唐に服属する。
   西突厥はトルキスタンを支配。唐に敗れ7世紀末に衰退。
・8世紀に再建されるが、744年 ウイグルに滅ぼされる。
・a 突厥文字 を持つ。アラム文字系。北方遊牧民の最初期の文字として重要。(後出)
 ウイグル  8世紀 トルコ系民族。突厥を滅ぼし、中央アジアを支配。
 a 安史の乱 では、唐軍を支援。しだいに唐を圧迫するようになる。
・9世紀 同じトルコ系のキルギスに敗れて滅亡。一部はタリム盆地に移動。
  b ウイグル文字 を持つ。(後出)

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2.東アジア諸民族
  唐を中心とした、東アジア文化圏が形成される。
  周辺諸国の首長が唐に朝貢し、統治権を認められるて成立した外交秩序を▲b 冊封体制 ※という。
  → ※第2章3節参照。
 新羅の統一  三国の対立、日本の干渉が続く中、唐と結んだ新羅が有力となる。
  663年 a 白村江の戦い  唐・新羅連合軍、日本・百済の連合軍を破る。
  668年 唐・新羅の連合軍、b 高句麗 をほろぼす。
 676年 唐の勢力をしりそげて、半島の大部分を支配。
・新羅の社会 c 骨品制 :氏族制的な身分制度をもつ。
 都の慶州を中心に唐に倣った仏教文化が発達。
  例:慶州の▲d 仏国寺 (多宝塔が有名)、石窟庵など。
 渤海  高句麗の滅亡後、その遺民と靺鞨族が中国東北地方・朝鮮北部を支配し、
 698年、▲a 大祚栄 が建国。713年渤海郡王に封じられる。都は上京竜泉府
  唐の文物・制度をさかんにとり入れ、8~9世紀に栄えてb 「海東の盛国」 と言われた。
  → 日本とも使節の往来があった。
 日本  7世紀 大陸文化の摂取と中央集権国家の形成すすむ
 607年 聖徳太子、a 遣隋使 小野妹子を派遣 → 隋の煬帝と交渉。
 630年 b 遣唐使 の派遣。留学生や留学僧も加え、文化の輸入につとめた。
 645年 c 大化の改新 :唐にならって律令国家体制をととのえる。
 701年 大宝律令制定  710年 d 平城京 の建設 → 唐の都長安城を模倣。
 708年 和同開珎の発行(唐の開元通宝を手本とする)
  → 唐をつうじてインド・イランなどの文化にも接し、e 天平文化 が繁栄。
・補足: 日唐の交流の主な例
3.チベットとその周辺
 チベット 
・7世紀 a ソンツェン=ガンポ が統一。中国名はb 吐蕃 。 都c ラサ 
   → 青海地方(黄河上流)のd 吐谷渾 を滅ぼす。
  632年 唐に遣使。唐の皇女(文成公主)と結婚。一方でネパール皇女とも結婚。
 e チベット文字 :インド系の文字をもとにチベット文字がつくられた。
 f チベット仏教 :仏教と固有の民間信仰と融合させた独自の仏教が成立。
  → 8世紀 安史の乱に乗じ唐に侵攻。 → 長慶の和約 ラサなどに唐蕃会盟碑を建立。
 南詔  チベット=ビルマ系の王朝
・8世紀後半、雲南を統一。大理を中心に栄え、唐・吐蕃とも交渉。
▲C インドとの関係 7世紀前半 玄奘、インド旅行。a ハルシャ=ヴァルダナ 王の保護を受ける。
 641年 ヴァルダナ朝、唐に遣使。太宗、答礼使として王玄策を派遣。

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4.東南アジア
  北部ベトナム 唐の支配が及ぶ 679年 ハノイに 安南都護府 を置く。
  カンボジア(真臘)・チャンパー(林邑・環王)・シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)なども唐に朝貢。

7世紀 隋唐時代のアジア

隋唐時代のアジア

 a 唐 
 b 新羅 
 c 吐蕃 
 d 吐谷渾 
 e 南詔 
 f 東突厥 
 g 西突厥 
 h ウイグル 
 i ヴァルダナ朝 
 j ウマイヤ朝 
 k チャンパー 
 l カンボジア 
 m シュリーヴィジャヤ 

 ・六都護府
 ① 安東 
 ② 単于 
 ③ 安北 
 ④ 北庭 
 ⑤ 安西 
 ⑥ 安南 

 (ア) 玄奘 
 (イ) 義浄 

 1 長安  2 洛陽  3 揚州  4 広州  5 敦煌  6 疏勒  7 サマルカンド 
 8 カナウジ  9 ナーランダー  10 ラサ  11 パレンバン  12 タラス  13 白村江 
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エ.唐の動揺 用語リストへ
 則天武后 の政治 高宗の皇后。皇帝の死後、実権を握る。
・690年 帝位につく。中国史上、唯一の女帝となり、国号をa 周 (武周)と改める。
 b 科挙 官僚の重用など、独自の政治を行う。
  → 政治の担い手が、世襲的な貴族から、実力本位の官僚に移る。 → 貴族社会の衰退。
・▲次の中宗が国号をもどすが、皇后の韋后に毒殺される。
 この時期の混乱をc 武韋の禍 という。
 玄宗  の政治 韋后を殺害して父を皇帝に立て、次いで712年、皇帝となる。
・前半は政治の引き締めにあたり、▲a 開元の治 といわれる。律令の改定などを実施。
・治世後半の政治
 人口の増加・商業の発達 → 農民の貧富の差が広がる → 均田農民が口分田を放棄して逃亡。
  → 農民を徴兵するb 府兵制 が維持できなくなり、c 募兵制 による傭兵に依存するようになる。
 ・749年 b 府兵制 を廃止。
  d 節度使 =募兵制のもとで辺境の防備に当たるの指揮官。
  → 次第に地域の行政・財政を任され、兵士を私兵化して蓄えるようになる。
 ・西域経営の失敗:751年 e タラス河畔の戦い でイスラーム軍に大敗。
 ・内政が混乱:愛妃f 楊貴妃 の一族の楊国忠を重用し、宰相とする。
 安史の乱  755~763年
・三つのa 節度使 を兼ねたb 安禄山 と部将のc 史思明 が反乱を起こす※。
  ※ともにソグド人。楊氏一族の重用に反発。
  → 一時は反乱軍が長安を占領、玄宗と楊貴妃は逃亡(白居易の▲d 『長恨歌』 にうたわれる)。
  → 唐、北方民族のe ウィグル の援助で反乱を鎮圧。
・影響:f 各地の節度使が行政・財政の権力を握って自立し、中央政府の統制力が弱まった。  
  → そのような地方の権力者はg 藩鎮 と言われた。
・e ウィグル 、h 吐蕃 、南詔などの周辺民族が唐の領土に侵入。
  → 8世紀後半~9世紀 唐王朝は領土縮小しながら存続する。

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 唐 の衰退
・8世紀後半 安史の乱の後、大土地所有(a 荘園 )の増大 = b 均田法 の崩壊が進む。
  → c 租庸調制 による税収の減少 → 財政再建の必要が強まる。
・780年 d 両税法 を施行。宰相e 楊炎 の献策で実施。
  内容:f 現住地で実際に所有する土地や資産に課税し、夏秋2回の収穫期に徴収する。 
  影響:商業への規制ゆるむ → 草市が発生し、に成長。
     商業の展開 → 飛銭(送金手形)の発生。
・761年 g 塩専売制 の実施:さらに高額の税をかける。
E.唐の滅亡
・875~884年 a 黄巣の乱 起こる。
  塩の密売人b 王仙芝 とc 黄巣 が起こした反乱。
  → 飢饉に苦しめられていた農民が参加し、大農民反乱となる。
・907年 節度使 d 朱全忠 が反乱を鎮圧。さらに皇帝哀帝を廃して唐を滅ぼす。
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オ.五代の分裂時代 用語リストへ
 五代十国の争乱  907~960年
・907年 a 朱全忠 、b 後梁 を建国、都をc 汴州(開封) に定める。
  → 各地のd 節度使 が自立(藩鎮)=中国の分裂。
・次いで華北にe 後唐 ・f 後晋 ・g 後漢 ・h 後周 が交替。
  この五王朝をi 五代 という。その他に有力な節度使が10の国を作る。=j 十国 
  → 各国では節度使の武力による武断政治が行われ、混乱が続く。
・北方系遊牧民の進出。ウイグルの衰退に代わり、モンゴル系k 契丹 が進出。
  → f 後晋 から燕雲十六州を割譲され、さらに一時中国を支配。(後出)
・補足: 五代の変遷 各王朝の始祖(系統)・都・特記事項
・社会の変化:l 荘園 を基盤としていた貴族の没落、かわって新興のm 地主層 が成長。
  = 所有地をn 佃戸 (小作人)に耕作させて小作料を取る形態となる。
 960年 五代の後周の部将 趙匡胤が宋を建国。次の太宗が中国を統一。
 
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この節の小見出し
ア.隋の統一と唐の隆盛
イ.唐代の制度と文化
ウ.唐と隣接諸国
エ.唐の動揺
オ.五代の分裂時代

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界