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史思明

安禄山に協力し唐に対する反乱(755年の安史の乱)を起こす。安禄山の死後、大燕皇帝となったが、内紛によって761年にわが子に殺害された。

 安禄山の古くからの友人で、玄宗の時、755年に起こった安史の乱の指導者の一人となった。ソグド人出身の武将だったと伝えられ、安禄山の盟友として反乱を主導した。この反乱は、安禄山の死後、史思明によって継承されたので、両者の姓を採って「安史の乱」と云われている。

安史の乱を継続

 757年、安禄山が息子の安慶緒に殺されると、史思明はどれに順わず幽州にもどって力を蓄え、759年に安慶緒を殺して自ら安禄山の称した大燕皇帝を継承し、760年には洛陽に入城した。しかし、次第に安禄山と同じように愛妾の子の史朝清を寵愛するようになり、反発した長子の史朝義の手によって捕らえられて幽閉され、翌761年に殺されてしまった。その史朝義も763年に態勢を立て直した唐軍とウイグル軍に攻められて敗れ、安史の乱は終結した。
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