ラッバン=ソウマ
イル=ハン国からヨーロッパ各国に派遣されたネストリウス派キリスト教徒。
ラッバン=サウマーとも表記する。1287年、イル=ハン国のアルグンがヨーロッパに派遣したネストリウス派キリスト教徒。イル=ハン国は、イスラームのマムルーク朝 と対立していたので、キリスト教国と提携することを策し、使節をヨーロッパ各国に派遣することとなった。使節となったラッバン=ソウマは元の大都生まれのモンゴル人で、ネストリウス派のキリスト教徒であった。イェルサレム巡礼に向かう途中、イル=ハン国のハンの使節となってヨーロッパに向かうこととなり、コンスタンティノープル、ナポリ、ローマ、ジェノヴァ、ガスコーニュ、パリを訪れ、詳細な記録を残した。彼が会見したのは、ビザンツ皇帝、フランス王フィリップ4世、イギリス王エドワード1世、ローマ教皇ニコラウス4世などであった。両者の同盟はならなかったが、13世紀の東西の関係が想像以上に密であったことをうかがわせることである。1294年に大都に至ったモンテ=コルヴィノはこのラッバン=ソウマの派遣が契機となったという。