ヘースティングスの戦い
1066年、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服した戦い。
1066年、ノルマンディー公ウィリアムの軍がイングランド王国に上陸、サセックス州のヘースティングスで、アングロ=サクソン人の貴族でイングランド王を自称していたハロルドの軍を破り、イングランドを征服した。この「ノルマン=コンクェスト(ノルマン征服)」でイギリス(イングランド)にノルマン朝が成立した。→イギリス(1)
ノルマンディー公ウィリアムを迎え撃ったのは、イングランド王ハロルド2世を称していたが、有力貴族ゴドウィン家の出であるが正統性に乏しく、苦戦を強いられた。また当時、イングランドの北方にはノルウェー王ハーラル3世が侵入しており、ハロルドは南北両面で戦わなければならなかった。まず北部のヨーク近郊でノルウェー軍を討ち、すぐさま南下してヘースティングスに布陣し、ノルマン軍を迎え撃った。しかし、ハロルド軍が歩兵主体であったのに対し、ノルマン軍は騎兵を中心としており、戦闘はノルマン軍優勢のとなって、ハロルドは敗死して終わった。
ノルマンディー公ウィリアムを迎え撃ったのは、イングランド王ハロルド2世を称していたが、有力貴族ゴドウィン家の出であるが正統性に乏しく、苦戦を強いられた。また当時、イングランドの北方にはノルウェー王ハーラル3世が侵入しており、ハロルドは南北両面で戦わなければならなかった。まず北部のヨーク近郊でノルウェー軍を討ち、すぐさま南下してヘースティングスに布陣し、ノルマン軍を迎え撃った。しかし、ハロルド軍が歩兵主体であったのに対し、ノルマン軍は騎兵を中心としており、戦闘はノルマン軍優勢のとなって、ハロルドは敗死して終わった。
参考 バイユー=タペストリー
ヘースティングスの戦いを描いたバイユータペストリーには鮮やかな戦闘場面が描かれている。次はその一部分。左側にノルマンディ公ウィリアムの率いるノルマン騎兵、右側にイングランドの歩兵が描かれており、戦死した兵士の姿も見られる。バイユータペストリに描かれたヘースティングスの戦い