明の中期、
1448年(
土木の変の前年)、福建省で起こった農民闘争。農村の小作人たちが地主に対して小作料の減免を求めて立ち上がったもので指導者が鄧茂七という農民であった。当時、福建の農村では、地主は多く都市に住んで不在地主となっており、
佃戸(小作農)は5~6割の重い小作料を地主の倉庫に運んで行かなければならなかった。鄧茂七が挙兵すると、銀山の工夫や流民も加わり、数十万の大反乱に膨れあがった。地主は自衛組織をつくり、北京の政府も軍隊を派遣して鎮圧にあたり49年、鄧茂七が戦死して乱は収束した。明末清初に激しくなる
抗租運動の先駆的なものであった。