ラヴォワジェ
18世紀のフランスの化学者。燃焼の本質などを究明した。フランス革命の渦中で1794年、徴税請負人であったことからで処刑される。
Lavoisier 1743-1794
その業績
17世紀はニュートン力学に見られるように物理分野では大きな進歩があったが、物質観に関しては依然として”土、水、空気、火”という4つの基本物質からなっているという理解に留まり、錬金術の段階を脱していなかった。18世後半になってようやく水素の発見(1766年、イギリスのキャヴェンディッシュ)、酸素の発見(1772年、スウェーデンのシェーレ)があり、フランスのラヴォワジェによって元素と化学反応の原理がが燃焼実験の結果、明らかになった。定量的研究を重ねたラヴォワジェは1777年に燃焼とは空気の一成分と物質の結合であることを発見し、ついに空気が酸素と窒素からなることを明らかにした。1785年に水の分解実験に成功し、1789年にそれらの知見をまとめて『化学原論』を発表し、物質の究極的な構成要素を「元素」と名付け、水素、酸素、窒素など33種類の元素を列挙し、あわせて「質量保存の原則」を明らかにした。このラヴォワジェの業績は、錬金術から化学に変化させ、近代科学を真に成立させたと言える。Episode フランス革命で処刑されたラヴォワジェ
ラヴォワジェの本業は徴税請負人(間接税を国に代行して徴収する役職)であったため、フランス革命が起こると反民衆的な右派として捕らえられ、1794年にギロチンにかけられて処刑されてしまった。このとき数学者のラグランジェは「この頭を斬り落とすのは一瞬の出来事であるが、これほどの頭脳を得るには、1世紀あっても足りない」と叫んだ逸話は有名である。<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.85>ラヴォワジェの処刑
ラヴォワジェの処刑は1794年5月8日に行われたことが、『フランス革命下の一市民の日記』の同日の記事に出ている。それによれば、木曜日で気温13度、南の風で晴ていたが、午後になって霧雨となる中で、同じ総括徴税請負人28人とともに処刑された。(引用) ラヴォアジェ 50歳 パリ生まれ。元貴族、旧科学アカデミー会員。火薬、硝石管理官。国庫監察官。ヨーロッパで最も博識な科学者の一人。文士。(他に8名の氏名を列記)訳者の河盛好蔵さんの注によると、彼が人びとの怨嗟の的となっていた総括徴税請負人になったのは1779年のことで、その協会に所属していたために処刑されたという。また国民公会でアカデミー廃止の動議が出されたときはその弁護にあたった。結局国民公会は「共和国に学者は無用なのです」という意見が通り廃止が決まってしまった(幸いにも1795年の法令でフランス学士院が成立した)。文中にある煙草不正事件はまったくの不当な濡れ衣で、ラヴォワジェは煙草委員会であったがむしろ、不埒な煙草業者が煙草の粉に不純物(灰)を混入させたのを摘発するための処理法を考案していた、という。<『同上書』p.508の注>
以上28人は、フランス人民に対する陰謀の主犯あるいは共犯であることが立証された。彼らはフランスの敵を援助し、フランス人民に対して不当な徴税を行い汚職の限りをつくした。喫煙者の健康に有害な諸成分と水とを煙草に混入し、さらに、合法的に認められた税は4%であるにもかかわらず、6~10%の税金を徴収して、必要な運営資金を蓄え地位の保全をはかった。公庫に納入すべき利潤を着服して人民と国家の富を盗み、フランス人に敵対して同盟した外国の暴君どもとの戦争に必要な莫大な金額を横領したうえ、ひそかに敵の手に渡しさえしていたのである。
以上の罪で全員死刑の判決を受け、6時15分頃処刑された。執行はわずか24分で終わった。私(日記の著者セレスタン・ギタール)はその処刑を見物した。4台の車に分乗して到着したが、数名をのぞいて、さほど深刻な表情はしていなかった。……<ギタール/河盛好蔵訳『フランス革命下の一市民の日記』1986 中公文庫 p.480->