詳説世界史 準拠ノート(最新版)
第9章 ヨーロッパ主権国家体制の展開
3節 17~18世紀ヨーロッパの文化と社会
■ポイント ルネサンスに続く17世紀の「科学革命」の内容を知り、近代的世界観が形成される過程を考える。
1.自然科学の革新
A 17世紀のヨーロッパ 近代的合理主義・科学的自然観が展開された。=a 科学革命 の時代と呼ばれる。
Text p.237
- b ガリレイ 伊 望遠鏡を自作し地動説を立証。1633年、宗教裁判で異端とされる。
- c ケプラー 独 17世紀初め惑星の運行法則を発見。近代天文学の基礎を築く。
- d ハーヴェー 英 1628年 血液の循環の発見。
- e ニュートン 英 1661年 万有引力の法則を発見。
1687年 『プリンピキア』発表。ロンドン王立協会会長となる。
→ ニュートン力学は近代物理学の基礎となる。微積分法を創始。 - f ボイル 英 1662年 ボイルの法則 気体力学の基礎を築く。
- ▲g ホイヘンス オランダ 17世紀中頃 光の波動説を唱える。
e ニュートン 『プリンキピア』表紙
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B 18世紀の主な科学者- a リンネ スウェーデン 動植物の分類。
- b ラヴォワジェ 仏 1774 燃焼理論を明らかにした化学者。
- c ジェンナー 英 1796 種痘法を発見。
- d ラプラース 仏 物理学、数学、宇宙生成論。
- e フランクリン 米 避雷針の発明。アメリカ独立戦争中の政治家、外交官としても活躍。
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・18世紀 後半 産業革命の時代へ
2.合理的思考の展開
A 経験論 17世紀 イギリスに始まり、深められる。
- 経験的(観察と実験)方法によって法則(真理)を導く(帰納法)。
- b フランシス=ベーコン :1620年『新オルガヌム』 経験論の基礎を築く。ジェームズ1世の側近。
→ ホッブス、ロックに継承される。
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B 合理論 17世紀 オランダ・フランス・ドイツなど大陸で発達。- 理性にてらし真理として認識できることから具体的な事例を導く(演繹法)。
- a デカルト (オランダ):三十年戦争に従軍。1637年 b 『方法叙説』 などで、すべての
存在を疑ったうえで、”c われ思う、ゆえにわれあり ”から認識が始まるとした。 - d パスカル (フランス):『瞑想録(パンセ)』(1670年刊 ”人間は考える葦である”で知られる。)
- e スピノザ (オランダ) :1675年、『エチカ』などで、汎神論を展開。教会からは異端視される。
- f ライプニッツ (ドイツ) :1720年、単子論を説き、数学では微分・積分学を創始する。
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C 自然法思想 17世紀、自然科学の発達の影響を受け、国家や法のあり方の探求が始まる。- 人為的な法律を超えた効力を持つ永久的、普遍的な法の存在が提唱される。
- a グロティウス :17世紀初め オランダ。三十年戦争に際しb 『戦争と平和の法』 を著し、
国際法の必要を提唱。他に、『海洋自由論』を著し「自然法・国際法の父」と言われる。 - c ホッブズ :17世紀前半 イギリス=ピューリタン革命期。d 『リヴァイアサン』 を著し
”万人の万人に対する戦い”の状態から社会契約による国家権力の優越を説く。 - e ロック :17世紀後半 イギリス=名誉革命期。f 『統治二論』 などで、人間が自然法上の
諸権利を政府に信託する契約を結んでいると説明し、人民の政府に対する抵抗権を認めた。
→ g 社会契約説 の思想 → アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に影響を及ぼす。
解説
社会契約説は、絶対王政の政治理念であった王権神授説に対して、17~18世紀の市民革命期に成立した、新たな政治理念。社会の基礎を個々の人間におき、それぞれの主体が互いに契約を結ぶことによって社会が成立すると考えるのは、ホッブズ、ロック、ルソーらに共通であるが、国家のあり方、政治権力と人民の関係ではこの三者でも違いがある。17世紀前半のホッブズは、人民は政府に自然権を委譲していると考え、抵抗や革命は許されないと考えたが、ロックは人民は自然権の一部を政府に委託しているのであり、主権者である人民に抵抗権・革命権があることを認めた。18世紀中期のルソーは各個人は自由・平等であり、その集合体である人民の意志(一般意志)は最高絶対の権力(人民主権)であって、人々の契約の目的は国家ではなく人民の共同体にあるとした。18世紀前半のフランスのモンテスキューは、基本的人権の保障の観点から、国家権力を立法、司法、行政の三権分立という、より具体的な人民と国家のあり方を提唱した。特にロックとルソーの思想は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に採り入れられ、さらに現代の民主主義国家の理念としてとして生きている。
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D ドイツ観念論 18世紀末、ドイツで成立する。- a カント 経験論と合理論の双方を批判的に統合し観念論を大成する。『純粋理性批判』などの三批判書。
1795年 『永遠平和のために』では常備軍の廃止、国際平和機関の創設を提唱。
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・19世紀 ヘーゲルによって完成され、マルクスらによって克服が試みられる。
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イ.啓蒙思想
■ポイント 18世紀フランスの主要三名の啓蒙思想の内容を理解し、その及ぼした影響を考える。
A 18世紀フランス- 封建社会の人間の不自由さを批判し、無知からの解放、知識の獲得をめざすa 啓蒙思想 おこる。
18世紀の絶対主義時代のフランスで特に高まり、王権神授説を批判する。 - b モンテスキュー :18世紀前半 『法の精神』、『ペルシア人の手紙』 などで
イギリスの議会政治を賛美し、絶対主義の国王への権力集中を批判、三権分立を説く。 - c ヴォルテール :18世紀前半 『哲学書簡』など言論・信仰の自由を主張、カトリック教会を批判。
→ フリードリッヒ2世に招かれ、エカチェリーナ2世とは文通を通じ啓蒙思想を教えた。 - d ルソー :18世紀中ごろ 『社会契約論』、『人間不平等起源論』、『エミール』など。
→ e 人民主権 の実現をめざす思想を展開し、絶対王政を批判。f フランス革命 の理念となる。 - その他のフランス啓蒙思想
1751~72年、g ディドロ 、h ダランベール らi 『百科全書』 刊行。啓蒙思想を集大成。
→ 各国のj 啓蒙専制主義 をとる君主に影響を与える。
Text p.238
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B 経済思想の転換- a 重農主義 :18世紀中ごろフランス。b ケネー 『経済表』を刊行。冨の源泉を土地に求め、
重商主義政策を批判し、経済活動のc 自由放任(レッセ=フェール) を主張。 - d アダム=スミス :18世紀後半のイギリス産業革命期 1776年 e 『諸国民の富』 を刊行し
国民の生産活動の全体を冨の源泉とみなし、経済を市場原理=f ”見えざる手” にゆだねる事を主張。
= g 重商主義を批判し、自由主義経済の理論を確立する。
→ h 古典派経済学 の成立
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・18世紀後半のイギリス産業革命期にその理論となる。 → 資本主義経済の形成。
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ウ.宮廷文化
■ポイント 宮廷文化と言われる建築、絵画、文学、音楽にはどのようなものがあるか、その内容を知る。
・17・18世紀の芸術:a 絶対王政 のもとで国王の権威の誇示に利用される。
一方で、b 市民階級 の成長に伴い、その生活感情を反映するようになる。
一方で、b 市民階級 の成長に伴い、その生活感情を反映するようになる。
A バロック美術 ルネサンス様式に続き、17世紀のスペイン・フランス・フランドルで開花。
b ヴェルサイユ宮殿
- 特徴:a 君主の権威を誇示する豪壮華麗な文化
- 建築:b ヴェルサイユ宮殿 1661年
c ルイ14世 がパリ郊外に離宮として建設開始。
1682年に政府機構も移る。 - 絵画:
- d フランドル派 (南ネーデルラント=ベルギー)
Text p.239
ハプスブルク家の宮廷を中心に発達。
e ルーベンス イタリアで学び、アントワープで活躍。
『マリ=ド=メディシスの生涯』など。
f ファン=ダイク イギリスで宮廷画家として活躍。
『チャールズ1世の肖像』など。 - スペインの絵画 17世紀はスペイン絵画の黄金時代といわれる。
g エル=グレコ ギリシア人でヴェネツィアで修行し、スペインのトレドで活躍。宗教画。
h ベラスケス 宮廷画家。『宮廷の侍女たち』 など。
他にムリリョ(『乞食の少年』など貧しい民衆の生活を描いた)など - 文学:フランス i 古典主義 宮廷劇に3大劇作家が出現。
(悲劇)j コルネイユ 『ル=シッド』など。 ・k ラシーヌ 『アンドロマク』など。
(喜劇)l モリエール 『タルチェフ』、『人間嫌い』など。 - m フランス学士院(アカデミー) リシュリューが創設、フランス語の統一と洗練をめざす。
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B ロココ美術 18世紀(1720~60年代) フランスとその周辺諸国の宮廷で流行。
- 特徴:a 王侯貴族や富裕市民の愛好する繊細優美な文化
- 建築:b サンスーシ宮殿 プロイセンのc フリードリヒ2世 がポツダムに建設。無憂宮。
シェーンブルン宮殿 ハプスブルク家がウィーンに建造。外観はバロック式。 - 絵画:d ワトー 、ブーシエ、フラゴナールなど(いずれもフランス)
- 音楽:17~18世紀 音楽史ではバロック音楽から古典派へ移行したとされる。
バロック音楽 e バッハ ブランデンブルク協奏曲など多数の作品がある。
f ヘンデル ドイツに生まれイタリアで学びイギリスで活躍。
古典派 g ハイドン (交響曲の父)、h モーツァルト (歌劇・交響曲多数)。古典派音楽の完成。
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・17世紀後半~19世紀 i シノワズリ (中国趣味)の流行。
ヨーロッパ各国の宮廷で、中国及び周辺のアジアの文物やデザインが愛好される。
ヨーロッパ各国の宮廷で、中国及び周辺のアジアの文物やデザインが愛好される。
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エ.成長する市民と文化
a レンブラント 『テュルプ博士の解剖学講義』
■ポイント 市民文化の成立を実感、具体的イメージを感じ取る。
1.市民文化の形成
- 17~18世紀 商工業の発展を背景に成長した豊かな市民層が
文化の新たな担い手となった。 - オランダ(北ネーデルラント)の美術 都市の繁栄を背景に
市民生活を題材とした作品が生まれる。17世紀中ごろ。
a レンブラント 明暗を駆使した油絵技法の完成。
『夜警』、『テュルプ博士の解剖学講義』など。
b フェルメール (『手紙を読む女』)など - 17世紀イギリスのc ピューリタン文学
d ミルトン の『失楽園』 旧約聖書を題材に神の摂理を説く。
e バンヤン の『天路歴程』 信仰上の苦悶を描いた寓意物語。
2.西欧諸国での17~18世紀のa 生活革命
- b タバコ ・c 茶 ・d 砂糖 ・e コーヒー などがf 三角貿易 によってもたらされる。
Text p.240
→ はじめは貴族の嗜好品であったが、次第に市民層の消費生活に採り入れられていった。 - 17世紀 ロンドンにg コーヒーハウス が出現。様々なクラブも生まれる。
- パリではカフェが成立。市民の自由な交流の場となる。貴族はh サロン を形成。
- それらのはたした役割
l 文芸活動やジャーナリズムの発展を支え、啓蒙思想を普及させた。
解説
コーヒーはアラビア原産で、16世紀ごろからヨーロッパにも知られるようになった。ロンドンにコーヒーハウスが登場したのは1652年、レヴァント商人のダニエル・エドワーズが開いた店であるという。その後数を増やし、1714年には約8000に達した。コーヒーハウスではロンドンの市民たちが世界中の植民地から集まる情報を交換し、そして情報の発信地となった。さらにコーヒーハウスは株式取引、保険などの役割も果たした。さらにピューリタン革命から王政復古期にかけて、政治議論が戦わされ、「世論」が形成される場となった。しかし、18世紀後半になると人々の嗜好も紅茶に移り、イギリスのコーヒーハウスは急速に衰退した。
ロンドンのg コーヒーハウス
3.18世紀前半のイギリス文学
- 貿易・植民活動を背景に市民的な文学が生まれた。 a デフォー の『ロビンソン=クルーソー』
- ▲1702年 イギリス最初のc 新聞 が刊行される。
→ d 世論 の形成。
b スウィフト の『ガリヴァー旅行記』
二人はジャーナリストとしても活躍。政治、社会を風刺。