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革命暦

1793年、ジャコバン独裁下の国民公会で制定された新暦。非キリスト教化政策の一環であった。

 フランス革命中の1793年10月、ジャコバン派独裁政権下の国民公会で、反キリスト教化の一環として制定された新たな暦。共和暦とも言う。アンシャンレジームに王権と結びついて民衆を抑圧していたカトリック教会の定めていたグレゴリウス暦を否定し、あらたな合理的な暦を作成するという理念であった。新暦は1月を30日、5日(または6日)の閏日、月の名前は次の12ヶ月とする。
 月名:秋=葡萄月・霧月・霜月 冬=雪月・雨月・風月 春=芽月・花月・牧月 夏=収穫月・熱月・実月
 閏日=9月17日~21日
 実施を1792年9月22日(共和政樹立記念日)にさかのぼらせ、その日を共和暦第1年第1日とした。その後、革命期に継続して用いられ、歴史的出来事も革命暦の月名で言われる。この革命暦は、革命思想の普及と、教会の支配力の排除をめざすものであったが、使われたのはわずかに13年に終わり、ナポレオンが皇帝となった後の1806年に廃止された。

Episode 時間・週の単位も変更した革命暦

(引用)フランス革命のときに召集された国民公会は改暦のための委員会を組織した。何人かの数学者、教育者と詩人が各一名に大天文学者のラプラスが加わったこの委員会は、合理的な考えにもとづく、みごとに均整のとれた新しい暦を作った。1792年、7日間を一週間とするこれまでの暦にかわって、デカードと呼ばれる10日を一週間とする暦が採り入れられた。それぞれの曜日はラテン語の数字で呼ばれ、10日間の週が3つで1ヶ月となった。1日は10時間に分けられ、1時間は100分、1分は100秒だった。12ヶ月の360日に加え、余った5日ないし6日は徳日、才能日、労働日、言論日、報酬日とそれぞれ啓発的な名をつけられ、閏日は共和暦閏日とよばれて休日とされ、娯楽にあてられる一日となった。<ダニエル・ブアスティン『どうして一週間は7日なのか』大発見1 集英社文庫 p.37>
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