フランス革命の進展するなか、
国民公会の常設委員会として、1792年10月に設けられた機関。その位置づけや構成員数などはたびたび変更があったが、93年9月には
公安委員会がその委員を任命することになった。こうして保安委員会は公安委員会の支配下に入ったが、その権限を巡って両者の関係はスムーズではなく、競合したために次第に対立するようになった。特に公安委員会を
ロベスピエールが抑えて独裁政権となると、保安委員会はそれに反発し、1795年にはロベスピエールを独裁者として追求する急先鋒となった。