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ゴヤ

18世紀後半~19世紀初頭、ロココ末期のスペインの宮廷画家。国王一家の肖像を多く残しすとともに、スペインの反乱を題材にした。

ゴヤが描いた『1808年5月3日』
ゴヤが描いた『1808年5月3日』
 ゴヤ Francisco de Goya 1746~1828 は、スペイン(7)の画家。ロココ美術の末期にあたり、繊細な自然の光を多用した明暗に富む作風をもつ。1789年にスペインのカルロス4世の宮廷画家となり国王一家の肖像画を描いた。その生涯も明暗二つの部分に分けられ、前半生の明るい行動的な放蕩者が、後半生では陰鬱で残酷なまでの人生の観察者に変貌している。それは中年になってからのアルバ公夫人との恋だけではなく、若い頃の放蕩の報いか、40代半ばに聴力を失ったことによる。それまで外面に向けられていたゴヤの眼が、人間の心の内に向けられるようになった。傑作と言われる二点の『マハ』、『気まぐれ(カプリチョス)』、スペインの反乱でのナポレオン軍のマドリードでの残虐行為を描いた『1808年5月3日』や、版画集『戦争の惨禍』などはいずれも後半生のものである。

Episode 『裸体のマハ』と『着衣のマハ』

 ゴヤの最も有名なこの二作は、現在はマドリードのプラド美術館にある、この二作は同じ女性モデルが横になったいるがひとつが裸体でひとつが着衣である。これはゴヤの愛人であったアルバ公夫人をモデルにしていると言われてきた。愛人の裸の姿を描いているとき、二人の間を疑うアルバ公が不意にアトリエに訪れたときのために、着衣の作品も用意していたというのである。ただしこれは伝説にすぎず、マハはスペイン語で「伊達女」というほどの意味でアルバ公夫人とは関係がない。この作品は1800年頃の作と考えられるが、そのころはアルバ公はすでに死去している。しかしゴヤとアルバ公夫人が深い仲であったことは確かで、別なアルバ公夫人の肖像画の指輪には「ゴヤただひとり」と書き込まれている。また『裸体のマハ』は、スペインで初めて、神話ではない本当の人間の女性の裸体を描いた絵画であった。<高階秀爾『名画を見る眼』岩波新書 p.123-133>
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